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平均点:6.92点 採点数:223件

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No.223 6点 メグレと殺人予告状- ジョルジュ・シムノン 2018/07/16 19:50
メグレの元に殺人を予告する手紙が届く。これはただのイタズラではないとメグレは直感した。部下に便箋を調べさせたところ、特殊なものだったので海法専門の弁護士エミール・パランドンの家で使用されている便箋だと判明した。メグレはパランドン家を訪ない、家人たちと話をする。この手紙を書いたのは誰なのか。本当に殺人は実行されるのか。

1968年メグレシリーズ後期の作品です。以前に書評した『メグレと火曜の朝の訪問者』の焼き直し的な面が色濃い作品です。脂っこさがなくてさらりと流したような趣ある作品ですが、こういう老成した味も意外と好きです。
殺人予告状など届いても手に汗握るようなことはなく、おどろおどろしい事件が起こるわけでもありません。メグレがパランドン家の人間と話をして、徐々にこの家の人間関係、問題が浮き上がってくるばかり。話が動くのは非常に遅く、ミステリというよりは家族小説のような様相です。
奇妙な家族ではありますが、各人物にメグレと火曜の朝の訪問者ほどの作りこみはありません。そうかといって類型に流された安易なキャラ作りはしていないと思います。ちょっとした一文で類型から外れた人物に仕立て上げる技術は健在です。
殺人予告状を書いたのは誰なのか、なんのために書いたのか。
さらに本作は登場人物が多いこともあり「誰が殺されるのか」を考えながら読み進めると面白いと思います。推理する楽しみとは少し違いますが、いくつかの可能性を想像することはできます。驚きはありませんが、納得のいく展開でした。各人物の言動などは自然でありながらきちんと計算もされているので、洞察する愉しみのある作品です。

No.222 6点 かわいい女- レイモンド・チャンドラー 2018/07/11 00:00
~小石をはめこんだような模様のガラスのドアにはげかかった黒ペンキで、「フィリップ・マーロウ……探偵調査」としるしてある。~
シナリオ調の書き出しで物語は幕を開ける。
この事務所でマーロウは~私は蠅叩きを持って、青蠅を叩き落そうと、身構えていた。~
そこへ今回の依頼人オファメイ・クエストより電話が入る。数頁読んで「またマール(高い窓)のようなキャラを使うのか」と思った。あのキャラは一度でいいだろうと。ところがどっこい。
邦題の「かわいい女」はちょっとどうなのかと疑問を持つ人も多いと思う。村上春樹氏は「リトルシスター」と改題した。まあこれが無難かもしれない。でも、個人的には皮肉たっぷりの「かわいい女」がけっこう気に入っている。アリス(ミュージシャンです)の「チャンピオン」みたいなものだと思えば。いや、それは違うか……。
とにかく、チャンドラー作品に登場する女性でもっとも印象的だったのは高い窓のマールと本作のオファメイなのであります。

本作は一般的な評価は低いようで、作者自身も不満を漏らしていた作品。
筋を錯綜させるのはいいが、こんがらがった結び目を解く作業がいい加減なのでなにが起こっているのか非常にわかりづらい。正直私も理解できているのかどうか疑わしい。それから、理解し難い理由で人物が動く。
次々にひっくり返される展開、意外な真相などなどきちんと書けばなかなか面白い作品になったのではないかと思う。
では、チャンドラーはどうしてこの作品が嫌いなのか。本作は出来が悪いとチャンドラー自身も言及していたことがあるらしいが……。
本作は当時の状況などからチャンドラーの個人的な感情が色濃く反映された作品のようだ。それはもちろんハリウッドへの思い。どのような思いなのか。
たとえばこんな場面がある。
愛犬家の映画会社社長が池に葉巻を捨てるのを見たマーロウが「金魚によくないのでは」と言う。
「わしはボクサー(犬種)を育ててるんです。金魚などはどうでもよろしい」
確かにハリウッドの醜悪さを描いているのだろう。この場面は印象的だし、いかにもハリウッドならありそうなことである。だが、チャンドラーの筆にはまだいくばくかの客観性があり、冷静さがあるように思える。ハリウッドを描いているように見える部分はわりと表面的で、さらに奇妙なのは物語がさほどハリウッドと密着してはいないように思える点。もっともっとハリウッドに寄せたものが書けたのではなかろうか。
むしろ一読ハリウッドとは関係のなさそうな部分こそがチャンドラーのハリウッドへの心情のように思えてしまう。チャンドラーはハリウッドでの仕事に魅了され、恋に落ちた。だが、しかし。
~電話が鳴ってくれ。頼む。誰か電話をかけて、私を人類の仲間に戻してくれ。~中略~この凍った星から降りたいのだ。~
このマーロウの独白は作品の中ではハリウッドと関係がない。だが、チャンドラーがハリウッドの仕事をしていた頃、痛切に感じたことなのではなかろうか。人類の仲間に戻りたい、凍った星から離れたい。
さらに言うと、チャンドラーにとってハリウッドを体現しているのは作中の二人の女優ではなく、むしろオファメイ・クエストではないだろうか。
本作においてマーロウは時にチャンドラーであり、オファメイはハリウッドなのではなかろうか。
本作でもっとも印象に残っているのは33章の最後の数頁~芝居は終わった。私は空になった劇場にすわっていた。~で始まるマーロウのモノローグである。ネチネチとした皮肉、嫌味には静かな怒りが満ち満ちている。
オファメイを皮肉っているのだが、これはそのままチャンドラーのハリウッドへの感情としても読めないものだろうか。
こうした負の感情はしばしば自己嫌悪の原因となる。チャンドラーが本作を嫌うのは作品の出来ウンヌンもあるのだろうが、そうした己の負の感情、弱さのようなものを作品に反映させすぎたことを嫌ったのではないだろうか。
だが、読者にとっては作者の負の感情こそが面白かったりする。
この章の最後がちょっと奇妙に感じられた。マーロウは~イギリス人が虎狩りから帰ってきたときのように悠々と階下へ降りて行った~のである。
なんか急に自信にあふれてきた。悪口言いまくってスッキリしたということか。(チャンドラーは)とにかくこの作品を書き上げて、次へいこうと吹っ切れたのか。

「かわいい女」は理解し難い作品だった。なぜこれを書いたのか。
チャンドラーの書きたかったものはやはりミステリなんだと思っている。うまく説明できないので簡単にいうとリアリティのある文学的なミステリ。
「大いなる眠り」から「湖中の女」までの変遷は理解できる。自分の書きたいものにだんだん近づいていたんだろうなあと思える。読みやすさも増して小説技術も上がってきているように思えた。
※作品の評価、好き嫌いとは別問題です。
そして「湖中の女」の次が「長いお別れ」なら腑に落ちる。なぜに「かわいい女」のようなものを書いたのか。「高い窓」「湖中の女」と積み上げてきたものを卓袱台返しして「さらば愛しき女よ」のあたりまで退行しているように思えた。
そういう意味では最後の「プレイバック」も理解し難い作品だったが、これは先行き考えず好き勝手にやった遺書のようなものだと思っております。

チャンドラーは不器用な作家で、作家としての総合的な能力はけして高くはないと思う。自分が目指した水準の作品を書くことができなかった作家であり、チャンドラーの作品は好きだが、それほど高く評価していない。
ただし、作家レイモンド・チャンドラーのことは非常に高く評価している。作家性とでもいうのだろうか。彼ほど真似をされる作家はなかなかいない。真似しやすいというのもあるが。
※クリスティ再読さんが「前衛小説」なることを書評で言及されていたが、その点はまさに同感です。人気があるのも確かに不思議です。
チャンドラーが本当に書きたかったもの、理想としていた類の作品はまだ地球上に存在していないのではないかと思う。それに近づいたものもほとんどない。そもそもこの理想形なるものを書くのは不可能ではないかと。目標が現実離れしていた哀しい人だったのではないかと妄想してしまいます。

チャンドラー長編、最後の書評にしていつにも増して妄想過多になってしまいました。


ややネタバレ


33章のモノローグの中に、マーロウからオファメイの雇い主であるザグスミス医師に向けてこんなメッセージがある。
――オファメイ・クエストに何か要求されたら、断ってはいけません。~中略~いつでもあの娘のいうことを聞いておやりなさい。そして、尖ったものをそのへんにほうりだしておかないことです。――
初読時これを読んで、尖ったもの=氷かき(アイスピック)が当然想起された。氷かきを使った殺人はオファメイの仕業だったのか、と思った。
ところが、そういうわけではないようだ。
チャンドラーはどういうつもりでこのようなことを書いたのだろう? オファメイが氷かき殺人をやりかねない女だとマーロウは言及していたが、それにしたって紛らわしい。

長いお別れのネタバレあり


次作の「長いお別れ」でチャンドラーは理想とした作品にもっとも近づけたとは思う。そういう意味では最高傑作だと思う。
長いお別れでチャンドラーが書きたかったことはたくさんあったのだろうが、ミステリ作家として、マーロウのセリフ↓で
「もちろん知らない。二人とも彼女が殺したんだ」
読者に死ぬほど驚いて欲しかったのではないかと。
私はかなり驚いた。だがしかし、ディープなミステリ読みにとってはどうなのだろう。

No.221 8点 マフィアをはめた男- ジョセフ・ピストーネ 2018/07/10 20:34
FBIの捜査官ジョセフ・ピストーネはニューヨークのマフィア組織に潜入捜査を試みる。マフィアに近い人物や平の構成員と付き合いを始め、やがて組織に認められて幹部クラスにまでのし上がっていく。そして、ピストーネのもたらした情報はマフィア壊滅作戦へと昇華していく。

これはノンフィクションです。ジャンル選定に悩みましたが、その他として小説枠に登録としました。落合信彦ことノビー訳。この時点でなんとなく胡散臭さを――失礼!――感じてしまうが、もちろん胡散臭くはないノビー作品もあるわけです。

ピストーネ氏がマフィアに信用され、出世していく過程はエンタメ小説顔負けの面白さで、リアリティは抜群だし、ここに家庭の問題やら友情やら、己の正体が発覚する恐怖やらが絡んできて読み応えは抜群。マフィアの内幕ものとしてはピカイチではないかと。
ピストーネ氏の用心深さは尋常ではないが、マフィア構成員たちの疑り深さもまた尋常ではない。下部構成員に食い込むだけでも非常な困難が付きまとう。ゆえに序盤は話の進行は遅々としている。このへんがまたリアルでいい。ノンフィクションなので、エンタメ作品であれば描かれなかったであろう細部も描かれ、エンタメとしては賛否あるのではないかと思う。
『ゴッドファーザー』なんかを読んでいるとドンの家の前で警護をしている連中なんかは雑魚キャラでしかないが、本作を読めばそうした雑魚キャラになることさえもかなり大変なんだということがよくわかる。ワルなら誰でもマフィアの一員になれるってわけではないのである。審査のようなものがあって、定員も決まっていたり、とにかく徹底した信用社会である。一般的な信用とは異なるものではあるが。
知名度はいまいちの作品だが、非常に面白い。
映画化もされているが、映画は観ておりませぬ。

No.220 7点 長いお別れ- レイモンド・チャンドラー 2018/05/11 22:07
もちろん好きな作品です。が、特にこれが好きというわけでもない作品。
とりあえず導入~序盤はすごくいい。チャンドラー作品の中でいちばん好きかも。マーロウはなぜレノックスに魅かれたのか。これはもうその人が持つ天性の愛嬌とでもいうしかないでしょう。なぜかわからんけど好きになってしまうような人間。
そして、レノックスと別れ、次の事件が起こる。これがサボテンを桜に接ぎ木したみたいに不細工。初読時はわけがわからなくなって苦労しました。読解力のなさもあったのでしょうが、二冊の本を同時に読まされているような違和感。相変わらずの麻薬を処方する医者。ですが、まあこんなのはチャンドラーにはよくあることです。
本作にあまり夢中になれない最大の原因は、テリー・レノックスが好きになれないからです。意志の弱さというのか、なんというのか。あの人物が本当に勇気を出して戦友を救ったのか?
「おばあさんが狙っているのは本当に~?」は笑いました。チャンドラー作品で一番笑ったセリフはこれかもしれません。
それから、村上訳で大きな収穫が一つありました。
清水訳では「さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ」となっていたこの一文。名文とされていますが、正直なところ私にはどこがいいのかさっぱりわからない文章でした。いい悪い以前に意味がよくわからなかったのです。
※再会を予期しての言葉なら理解できるのですが、文脈的にそんな風ではなかったため。
ですが↓
村上訳「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」
これでようやく合点がいきました。近親者が亡くなったときなど「片腕をもがれたような悲しみ」なんて表現することがありますが、それに近いニュアンスの言葉だったんですね。むろんこの部分に関しては村上訳を推します。
清水訳は、この一文に関しては誤訳といっていいレベルだと思います。

チャンドラーについてよく言われていることに対する私見
「チャンドラーは普通の小説を書きたがっていた」
本当にそうなのか? 私はチャンドラーはミステリが書きたくて書きたくてたまらなかった(けど書けなかった)人だと思っています。
※チャンドラーの評伝などは読んだことありません。あくまで作品を読んでの憶測に過ぎません。
「大人のための読み物」
本当かなあ。もちろん子供にはわからないと思いますが、そうかといって完全に成熟した大人が楽しめるのかというとそれも疑問なのです。
※makomakoさんが本作の書評で仰っていたことは理解できます。本当にその通りだと思います。
文章表現の面白さなどは除外して、フィリップ・マーロウにどの程度感情移入できるか、彼を理解できるのかという観点で見ると、むしろある種の子供っぽさを残した人の方が愉しめるのではないかと思うのです。青臭い理想主義、青臭い反抗心、融通の利かなさ、若さゆえの潔癖、こうしたものを大人になっても抱えている人こそがチャンドラーに向いているのではないかと。チャンドラーがわからない人は子供なのではなく、むしろ大人なのではないかと。
そんなわけで、私にはまだフィリップ・マーロウにさよならを言う方法がみつかっておりません。

2018/05/12 訂正及び追記

No.219 8点 鷲は舞い降りた- ジャック・ヒギンズ 2018/04/01 07:41
第二次大戦で敗色が濃厚となっていたドイツ軍はとある情報を入手する。イギリス東部の寒村ノーフォークに英国首相ウィンストン・チャーチルが立ち寄るというのだ。
チャーチルを誘拐することはできないだろうか。できそうな奴らがいる。
かつては精鋭中の精鋭といわれた男たち、歴戦の勇士クルト・シュタイナ中佐率いるドイツ落下傘部隊の連中だった。彼らは現在、囚人部隊として自殺的な任務に従事させられている。彼らにヒトラーの密命が下った。

ドイツの軍人を英雄として扱っているが、「ナチスが悪かった。ドイツ人は悪くない」というオーソドックスな(ずるい)歴史観から外れた作品ではない。「ナチ党員にも立派な人がいた」となると話は変わってくるが。
しばしば冒険小説の金字塔などと称される作品であり、読みやすくて非常に面白い。作戦の成否そのものは歴史が明示しているが、そこはあまり問題ではない。
この作戦が成功したところで、それが一体なんになるのか?
(チャーチル1人をいまさら攫ったところで戦況が変わるとは思えない)
無意味だとわかっていながら、彼らはなにゆえ作戦を遂行しようとするのか。
作中、シュタイナ中佐についてこのような言及がなされる。
「非常に頭が良くて、勇気があって、冷静で、卓越した軍人……そして、ロマンティックな愚か者」
これはシュタイナに限ったことではなく、本作の登場人物はロマンティックな愚か者ばかりだ。
善玉と悪玉があまりにも両極端に描かれている点が気になる。ものすごくかっこいい奴か悪い奴かといった風なのでキャラは立っているが、いささか単調。ただ、本作の場合はそこがまさに面白さの源泉なのである。
前半はわりと静かに進む。シュタイナ中佐らが囚人部隊に格下げされた経緯や作戦の準備、訓練、そして、先発の工作員リーアム・デブリンの英国潜入などが描かれる。彼らが舞い降りてからはピンチの連続で息をつかせない。たるい部分のほとんどない作品だが、個人的には特に前半が好き。

旧版も完全版(削除されていたエピソードが追加されている)も読んだが、完成度は旧版の方が上だと思う。完全版は旧版を読んで惚れこみ、さらに余計なお金を払うことも厭わないような――私のような――人だけが読めばいいのではないかと。
特にリーアム・デブリンに惚れこんでしまった人向きか。
(私はリタ・ノイマンと鳥好きの隊員が贔屓だが)
「飛び立った」もとっくの昔に購入してあるが、読む勇気がない。
最後に一つ。作者は登場しなくていい。

No.218 7点 森の死神- ブリジット・オベール 2018/03/31 19:51
一年前、エリーズは爆弾テロに巻き込まれて全身が麻痺、視覚も失い、聴くことはできても話すことはできず、たった一本の指を動かすことしかできない。
彼女はある日、幼い少女から『森の死神』について聞かされる。森の死神は男の子を殺して回っているという。だからといってエリーズにはなにもできはしない。だが、森の死神の魔の手が彼女自身にも迫ってくるのであった。

ブリジット・オベールは四作読んだが、、その中ではこれが一番面白かった。次々と新事実が浮かび上がり、次々と事件が起こる。強引なところもあるが、多少のことには目を瞑って作者の用意したローラーコースターに身を委ねてしまうのが吉。
語り手エリーズの境遇がかなり過酷だが、空さん御指摘のとおり陰鬱ではない。
エリーズは以前に書評したマーチ博士のヒロインに似て、強く明るくお人好しで、応援したくなるような人物。
語り手が全身麻痺で意思の疎通もままならない、しかも視覚まで奪われている。この設定が相当な縛りとなるはずだが、多少の御都合主義はあるものの縮こまることなく伸び伸びと描き切っている。
ラスト前のシーンなど相当にスリルがある。
最後に事件の全貌をとある人物が長々と語るのは不格好だが、この設定では止む無し。むしろ作者はよく頑張ったと思う。

語り手は視覚を奪われているため、描写の範囲はかなり限られているが、単調にならないよう緩急を付けるのがうまい。ごくごく短い文を連ねていく手法が多用されるが、うるさくない。
特に自分の無力さを自覚しているが故の語り手の焦燥感が非常によく書けている。そして、なぜか映像的ですらある。語り手には見えていないものが読者の目にはありありと見える。
こうした臨場感は父親が映画館を所有していて、子供の頃から映画漬けだったという作者の出自が関係しているのかもしれない。
この人は本格向きではなく、サスペンス、スリラーの書き手として優れている。ついでに個人的には本格と映画は相性があまりよくないと思っている。

No.217 6点 パイは小さな秘密を運ぶ- アラン・ブラッドリー 2018/03/31 19:48
英国の片田舎にあるお屋敷に父と二人の姉、使用人らと暮らす11歳のフレーヴィア・ド・ルース。趣味は化学の実験、とりわけ関心が深いのは毒物、治験?には姉を使用、こんな具合に楽しく日々を送っていた。
そんなある日の早朝、フレーヴィアは畑で赤毛の男が苦しみ、死んでいく現場に遭遇してしまう。
現場は自分たちの畑、しかも、この男が昨夜父と口論をしていたことを知っている。このままでは父が牢屋行きになってしまう。フレーヴィアは即座に行動を開始するのであった。

シリーズ一作目にして作者のデビュー作。
フレーヴィアにいまいち共感できず、理解すらできず、序盤はあまり乗れなかったものの、事件の背景、父親の過去が明らかになるにつれて、どんどん面白くなっていく。フレーヴィアのエキセントリックなところも理解はできた。共感はできないが、だんだんとこのキャラが好きなっていった。
犯人探しの点は弱い。事件の背景を探っていくという点ではなかなか面白い作品だった。プロットもしっかりしている。が、冗長。筆力あるのが仇となった感あり。400頁超のヴォリュームなのだが、300頁くらいにまとめた方が良かったのではないかと思う。
ミステリというよりはおしゃまな少女の冒険譚といった風で、そういう意味ではとても面白かった。ミステリとしては弱いので6点。
※nukkamさんの御書評によれば本シリーズには本格としてなかなか楽しめる作品もあるようです。

読み進めていくうちに物語の時代が1950年代だということがわかった。とすると、作者はフレーヴィアと同世代ということになる。現在作者は……え? えーっ!?
読後に作者がカナダ出身の70歳男性(執筆時)ということを知って非常に驚いた。

No.216 6点 ズッコケ心霊学入門- 那須正幹 2018/03/20 20:52
低学年の頃に読んで二週間一人でトイレに行けなくなった。
このシリーズは十冊ほど読んだが、本作がもっとも記憶に残っている。
改めて読んでみて、子供向けのわりにプロットや細部がしっかりしているなと感じた。また、季節から入って、情景、人物ときちんと描写している。
このシリーズは大人には見向きもせず、子供を教育しようなどとは考えず、ひたすら子供を愉しませることのみに専心している。
その姿勢が潔く、これこそがプロフェッショナルだなと感じた。

No.215 8点 わたしを離さないで- カズオ・イシグロ 2018/03/20 20:29
提供者と呼ばれる人たちの世話をする仕事、いわゆる介護人であるキャシー・Hが自身の過去を振り返る。その回想を通じて彼女が育ったヘールシャムという施設の秘密が徐々に浮かび上がる。

「オフィス」という言葉を聞くたびにこの作品のことを思い出してしまう。なんの変哲もない言葉なのに、なんとも物悲しい響きが籠められている。
キャシー(語り手)は『窓の外にいたみんなを見ていた』それだけなのに、どうしてこうも心を揺さぶられるのだろう。

受け入れ難いという方も多く存在するであろう作品。
抑制された筆致と評されているが、突飛と陳腐が同居した妄想を強力な筆力でつなぎ合わせたかのような矛盾に満ちた作品。
こんな話(世界、物語)はあり得ない。でも、この人たち(作中人物)は読者の眼前に確かに存在する。
たいていの人はヘールシャムの秘密には早いうちに気付く。星新一がこのネタでショートショートを書いているし、以前私が書評した作品の中にもこれを扱ったものがある。探せばいくらでも出てくる手垢のついた題材ではある。
しかも、ヘールシャムの秘密は早々に察しがついてしまう上、すっきりと謎が解かれずに曖昧なままに終わってしまう部分が多い。ミステリ的には物足りない。
また、費用対効果の問題など、設定には隙が多く、また曖昧な部分が多すぎて作中の世界にリアリティはない。これは書けなかったのではなく、書かなかったのだろうと思う。そこは重要ではないと。つまりSF的な要素はあるも本作はSFともいえないと思う。
そして、もっとも不可解な点はこの世界を語り手たちが受け入れてしまっているように映るところ。ここが引っかかるという方は多いと思う。
だが、私は逆だった。
運命に抗う姿が印象的な作品もあるが、本作では諦観、受け入れようとする姿が良くも悪くも非常に印象的であった。作者のルーツ(日系人)を窺わせるような気がした。 
読後感が似ていると感じた作品は、ヴォネガットの『スローターハウス5』。フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』に共通するテーマも見え隠れする。
登場人物が自分の運命を儚んでいない(ように見える)。だから余計にこの物語は不快である。だが、過酷な運命を淡々と受け入れていく登場人物たちには非常に好感を持った。
物語の最後の一文の後に、どうしようもなく哀しいキャシーのセリフが
『Never let me go(本作の原題)』が聞こえた。
『ロックンロールの自殺者』(デヴィッド・ボウイ)を歌いたくなる。
この人には死んで欲しくない。生きていて欲しい。
いい年して、こんな小学生みたいな感想を抱いてしまう作品だった。

No.214 5点 犬橇レースの殺人- スー・ヘンリー 2018/03/03 01:18
舞台はアラスカ。1500マイル近い距離を犬橇で走破するアイディタロッド・レースの参加者が木に激突して無残な最期を遂げる。さらに別の参加者も橇の下敷きとなって死亡する。
アラスカ州警のアレックス・ジェンセン巡査部長はこれらの出来事が事故ではなく殺人事件だと確信した。
ジェンセンはレースの参加者であるジェシー・アーノルドに協力を求め、調査を開始するのだが、またも新たな犠牲者が……。

「犬橇レース」なるものに惹かれて購入したのですが、この点では満足できる内容でした。筆力もそこそこあります。
アラスカの自然、犬橇レースの駆け引きなどはよく描けており、本で得た知識だけではなく、ちょっとした描写から現場の空気までもが感じられます。コース途上にある町の様子なども詳細で、レースの参加者がいかに歓迎され、英雄視されているかなどが良くわかります(これらの町には他に楽しみがないのではという気もしますが)。
ただ、導入~序盤あたりまでは良いのですが、あまりに淡々と進み過ぎて中盤がややだれます。終盤は少しギアが上がるのですが、ラストでの犯人の行動がアホ過ぎる。結局犯人がなにをしたかったのかよくわからないのです。犯人の目的と標的が噛み合っていない。他に狙うべき人間がいるだろうに。しかも殺す必要はないのに殺してしまったとかムニャムニャ。
仕掛けらしい仕掛けがなくて、ミステリとしてどうこう以前に、ミステリになっていないような。
ある種のクローズドサークルともいえそうな状況をうまく使ってユニークなミステリに仕立ててくれれば。
もしくは殺人事件にしないで純粋に冒険小説にした方が良かったのではないかと思いました。
犬橇レースに興味のない方は読む必要のない作品といえそうです。
犬橇レースの世界を描いた作品として個人的にはまあまあ楽しめました。
この作者は邦訳作品がもう一作あるらしいのですが、そちらの方も読んでみたい。

No.213 7点 高い城の男- フィリップ・K・ディック 2018/02/17 10:53
アメリカは第二次大戦で敗北し、勝利した日本とドイツにより分割統治されることとなった。それから十五年、日本に統治されているアメリカ西部では日本人が中国より持ち込んだ易(占いのようなもの)によって自らの行動を決定することが当たり前となっている。そして、最近になって奇妙な書物が大流行していた。『イナゴ身重く横たわる』この書物には第二次大戦でドイツと日本が敗北した世界が描かれていた。
上記のような舞台背景の下、サンフランシスコに在住する日本の通商団の一員である田上氏は交渉相手であるバイネス氏から怖ろしい情報を入手した。
ドイツは日本に大規模な核攻撃を加えるべく動き始めているという。

1962年の作品。本作のオマージュと思しき作品が糸色女少さんによりレビューされていたので、私はこちらを。
不安定な世界に生きる人々、何故かくも人々は不安を抱え、易などに頼って生きているのか。
古物商を主要人物の一人に据えて、本物と偽物に関する考察が興味深く語られていくあたりは非常にうまい。すべての事象が収斂し、ある意味わかりきった結論へと導かれる。
登場人物も魅力的であり、ストーリーも安定している。ディック作品の中では読み易い部類ではないかと思う。去年あたり映像化もされたらしく、そちらも是非観てみたい。
トレヴェニアンほどの日本理解はないが、日本への好意は感じ取れる。少なくとも悪虐非道には描かれていない。ドイツの扱いは酷いが。
ディックはインタビューで「取るに足りない人間がときおり見せる勇気、それが私の一番書きたいものだ。そういう人物が読者の記憶に残ることを望んでいる」みたいなことを言っていた。本作にも確かにそうした場面がある。
※上記のインタビュー、ソース失念。言葉も正確には記憶していないので参考程度にして下さいませ。

普通の世界に普通ではない人間を配置して物語を展開するシオドア・スタージョン。ディックは逆で、普通ではない世界に普通の人間を放り込む。
スタージョンにはなくてディックにあるもの、ディックの決定的な魅力、それは人間があがく姿だと思う。普通ではない世界、状況、絶望、そこから逃れよう逃れようと。彼らのその必死さ、生々しさに圧倒されて読者は心動かされるのだ。

No.212 7点 モンマルトルのメグレ- ジョルジュ・シムノン 2018/02/16 10:13
キャバレー『ピクラッツ』で働く踊り子のアルレットが酔っ払って警察署にやって来た。
アルレットはリュカ巡査部長に「伯爵夫人がオスカルに殺される」などと主張するも、急に態度を変え、自分は作り話をしたのだと言を翻す。
作り話というにはいささか具体的で真に迫ったところもある。
半信半疑のまま、リュカは彼女を家に帰した。
そして、数時間と経たぬうちにアルレットは何者かに絞殺されるのであった。

1950年発表のメグレシリーズ黄金の50年代の嚆矢となる一作であります。ハヤカワミステリマガジン1990年3月号「ジョルジュ・シムノン追悼特集」にて矢野浩三郎、野口雄司、長島良三、都筑道夫の四氏にメグレシリーズのベスト5作品をそれぞれ選んで貰ったところ、四名全員が選んだ唯一の作品が本作『モンマルトルのメグレ』だったようです。
※ソースは瀬名秀明氏のwebでの連載です。

冒頭から被害者(アルレット)に盛んに言い寄っていた若い男の存在が明らかになっております。
この若い男の正体は最初の数頁で仄めかされ、63頁(河出文庫版)であっさり判明してしまいます。
この男が犯人である可能性を仄めかしつつ正体を伏せたまま後半まで引っ張るのも一つの手というか常道でしょうが、シムノンはこの道を採りません。こんなプランは彼の脳裏を過ぎりもしなかったことでしょう。なぜならシムノンだからです。
この謎の男R氏は熱弁を振るいます。
「彼女は違うんです、ぼくのことを真剣に考えてくれていました」
「ふうん、そうなの(ニヤニヤ)」と、メグレはこういう感じ。
このへんの会話は面白い。キャバクラに嵌っていた知人のMくんを思い出します。Mくんも「彼女は違う」と言ってました。
脇役も良く、ロニョンはいつもの通りいい味を出している。ピクラッツにおける人間模様などなかなか面白くて、後半にはスリリングな展開もあったりして非常に出来が良い作品です。お薦めの一作です。
犯人がなかなか興味深く、読者に好奇心を抱かせるような書き方がされています。正体が明らかになるにつれてメグレとの絡みを少し期待しました。ところが、人物像は曖昧なままに終わってしまいました。
ラストを考えるに仕方ありませんが、残念でした。
また、アルレットについても曖昧な部分が残されておりました。
なぜアルレットはオスカルのことを密告しようとしたのか。
なぜ急に態度を変えて、オスカルなんて知らないなどと言いだしたのか。
謎の男R氏の言うように『彼女は(本当に)違うんです』そんな風に思いたいですね。

確かに本作のタイトルは『メグレとR氏』の方がよかったかも。もしくは原題に忠実に『ピクラッツのメグレ』にして欲しかったところです。

以下、参考までに前述のミステリマガジンアンケートの結果を記載しておきます。
「メグレ・シリーズ・ベスト5」
•矢野浩三郎『メグレのバカンス』『メグレと若い女の死』『メグレ罠を張る』『モンマルトルのメグレ』『メグレと幽霊』
•野口雄司『黄色い犬』『メグレと殺人者たち』『モンマルトルのメグレ』『メグレと若い女の死』『メグレ間違う』
•長島良三『メグレと若い女の死』『メグレと殺人者たち』『モンマルトルのメグレ』『メグレ罠を張る』『メグレと首無し死体』(番外)『メグレ警視の回想録』
•都筑道夫『メグレ罠を張る』『メグレと首無し死体』『モンマルトルのメグレ』『メグレと優雅な泥棒』『猫』(非メグレもの)。

私が選ぶとしたら『メグレと若い女の死』と『メグレと殺人者たち』は入れると思います。都筑さんが『メグレと優雅な泥棒』に一票投じてくれているのがとても嬉しい。人さまにお薦めはしづらいが、私も大好きな作品です。
概ね良い作品が選ばれているとは思いますが、もう少しヴァリエーションがあった方が面白いのになあとも思いました。
特に初期作品にあまり票が入っていないのが気になります。
日本ではもっとも有名な作品と言えそうな『男の首』に一票も入っていない! これは私もベスト5には入れませんが。

2018/05/11 追記
R氏としましたが、L氏とすべきでした。綴りを知らなかったもので。

No.211 6点 警(さつ)官- エド・マクベイン 2018/02/16 10:10
87分署に脅迫電話が掛かる。公園局長を殺されたくなかったら、五千ドル用意しろ。87分署一同はそれなりに手を打つも結果→公園局長死亡。
続いて、「副市長を殺されたくなかったら五万ドル用意しろ」→副市長爆殺。
一連の事件には補聴器をつけた長身の男が絡んでいる。そう、あのデフマンだ。うんざりだった。
一体、デフマンは今度はなにを企んでいるのか。

『電話魔』の続編です。あの男デフマンが還ってきます。事件の性質、全体のトーンも似通っております。署内はイヤな空気に包まれます。本作もデフマンの遠回しな狙いがなかなか面白い。
さらに87分署シリーズでは御馴染のパターン、並行して別の事件も起こります。連続浮浪者襲撃事件、若造の強盗計画などなど。マクベインには珍しくこれらの事件が一つにまとまりますが、少しも巧妙ではありません。とんでもない偶然によってまとまってしまっただけなのです。
裏表紙には『犯人と刑事たちの熾烈な頭脳戦をスリリングに描く傑作』などと謳われていますが、ぜんぜんそんな話ではありません。事件の解決は青天の霹靂としかいいようがなく、偶然と失敗が織りなすしようもない物語です。「偶然によってプロットが動く」「キャラのマヌケな失敗」は読者を白けさせます。
本作では刑事がやたらと失敗します。登場人物の失敗にはストーリーをより面白くするものありますが、読者をイライラさせるだけのものもあります。本作では後者の色合い濃厚。服に引っ掛かって拳銃が抜けないとか、初歩的な尾行の失敗とかそういうのは止めて欲しいわけです。
そういう失敗はリアルに起こり得るのかもしれませんが、小説的にはそんなリアルを描かれても面白くない。
87分署シリーズはキャラのマヌケな失敗をしばしば目にしますが、本作に至ってはほぼ失敗しかしていない。
ですが、失敗はともかく、偶然に関してはマクベインはこれを自覚的に、むしろ誇張してみせているふしがあります。
本文内で市警本部長による遠回しな言及があります。「警察の仕事には偶然が多く、多くの事件が偶然無くしては解決しなかった」本作はまさにこの言葉の体現なんですよ。失敗続きでも偶然解決しちまうのさと。
本作はシリアスなものではなく、かなり遊びの要素が強いと私は見ています。
シリーズも中期に進み、マクベインも飽きてきて少し変わったことをしてみたかった。穿った見方をすれば書くのが嫌になりかけていて投げやりな気持ちだった。いずれにしても、作者本人はわりと醒めた目でこのシリーズを見ていたように思えます。
駄作認定される素質は充分の作品でしょうが、ジェネロ巡査のエピソードやマイヤーマイヤー事件などの細部、馬鹿馬鹿しさ、電話魔と似た空気感などなど、意外と好きな作品です。高得点はつけません。

No.210 6点 シブミ- トレヴェニアン 2018/01/21 12:10
ミュンヘン・オリンピックのテロ事件の犯人に報復するべく、ユダヤ人グループは立ち上がった。だが、その計画は事前に察知され、グループのメンバー二人が虐殺されてしまう。虐殺の首謀者は巨大組織“マザー・カンパニイ”。一人生き残ったハンナは、からくもその惨劇の場から脱出し、バスク地方に隠遁する孤高の男に助けを求めた―“シブミ”を会得した暗殺者ニコライ・ヘルに。~amazonより~

あらすじを書くのが大変そうなのでamazonさまの内容紹介に頼りました。
が、実際に読んでみると多くの人はこの内容紹介に違和感を持つでしょう。
実は本作はこの内容紹介を読んで期待されるような話ではないのです。miniさんがトレヴェニアンは本筋ではなくて道草をこそ書きたかったのだろうと仰っていますが、まったく同感です。
数々の道草、特に上巻が面白かった。
面白いのですが、いくつか問題点を記しておきます。
本作もアイガーサンクションと同様に完成度はあまり高くない趣味に走った作品という印象が強いです。採点は少し抑えて6点とします。
物語が上巻でクライマックスに達してしまう。下巻も面白いが上巻ほどに心が揺さぶられるエピソードがなかった。
個人的にもっとも気になったのは下巻では主人公ニコライ・ヘルがシブミを追究しようとする姿勢がなく、修了証書を貰って満足してしまったような印象がある点。さらに、それが形ばかりのチグハグなシブミ理解のように思えてしまった。真摯にシブミを追究する姿勢を最後まで見せて欲しかった。それから、カーマスートラみたいなエピソードはいらない。ついでに『裸殺(秘密の殺人術)』がとても胡散臭い。

他の方も書いてらっしゃるように日本文化に対する作者の造詣には驚きましたが、それ以上に私は作者の歴史観に驚きました。たとえ日本文化が好きであっても、欧米人の歴史観では第二次大戦時の日本は軍国主義で軍隊は悪魔のような所業を為していたはずです。ところが、トレヴェニアンの歴史観はずいぶんと違うようです。日本は嵌められたと、こういう視点が窺えます。

No.209 6点 蜂の巣にキス- ジョナサン・キャロル 2018/01/21 11:01
『蜂の巣』とあだ名された秀才にして美貌の少女。二十年前に彼女の遺体を川で発見したのは僕だった。作家となり名を成したものの、現在はスランプに陥っている僕は彼女の死の真相を突き止め、それを書こうと決意した。

キャロル唯一のミステリ作品です。
当時逮捕された青年は本当に犯人だったのか。過去の事件を探っているうちに新たな事件が起きて、といった典型的な筋運び。
正直なところミステリとしては平凡な出来であります。また『蜂の巣』と呼ばれた美少女ポーリンの魅力がいまいち伝わってこない。これが最大の不満点です。元不良にして現警察署長のフラニー、主人公のガールフレンドなどなど他のキャラは非常に面白く書けているだけに本当に残念です。
好き嫌いの分かれそうなへらず口文体と人物造型とその変容していくさま、種々の楽しいエピソードなどでなかなか読ませるものになっていますが、こうした要素を重視しない読者には良くも悪くもないごくごく平凡な作品ということになりそうです。

キャロルらしさが希薄とされている作品です。というのは、リアルとファンタジーの混淆がキャロルの常套手段なのですが、本作はファンタジー要素がないからです。
ですが、自分の感想は「キャロル以外のなにものでもない」でした。
むしろファンタジーの衣を剥ぎ取ることでキャロルらしさが赤裸々となった作品だと感じました。
~ひとりで食事をするのは好かない。~この書き出しからして、いかにもキャロルらしい。
自分にとっては何度も読み返したくなる作家の一人です。

豊崎由美子女史――この人のキャラはあまり好きではないが、この人の薦める本は個人的には当たり率高し――の解説によれば、日本ではキャロルは売れないらしい。新作が出てもなかなか翻訳されないのはそのことも関係しているのか。本作は当時八年だか、九年ぶりだかの新作で本当にヤキモキさせられたものでした。
本作以外でミステリファンの方にお勧めできそうなのは~ぼくはいま、息子の頭に銃を突きつけて殺そうとしている。なのに息子は微笑んでさえいる。~このショッキングな書き出しで始まる『沈黙のあと』でしょうか。

No.208 8点 弁護側の証人- 小泉喜美子 2017/12/23 10:26
シンデレラを下敷きにしたとされている作品です。
数日前にE-BANKERさんが若竹七海女史の書評を書かれており、さらにビビデバビデブウについて触れてしまうと(拙書評11枚のトランプ参照)、やはりこの作品のことも書かねばなるまいと思い立ちました。
だがしかし……
重い話ではあるけれど、語りにはどことなく軽さがあって、あまりベタベタはしていない。粉雪のような作品という印象。非常に繊細で、ちょっと手を加えるとすぐに毀れてしまいそうな、裏を返せば完成度の高い作品。
各人がみな納得のいく行動をしているのにも関わらず、不可解な現象が起こる。この自然さは読んでいて非常に心地よい。
真相はクリスティの超有名作かなあと思っていたのですが、見事にハズレでした。
社会派ミステリでこういう仕掛けを施しつつ、重い話を軽快に書けるセンスはなかなかのもの。作者はクレイグ・ライスを訳しているのですが、クレイグ・ライスが大好きなんだなということはよく伝わって来るが、クレイグ・ライスのなにが良いのかがぜんぜん伝わってこない解説が印象的でした。それはともかく、影響は感じられますね。完成度高く粋な小品(長編としては)です。最初から最後まで息を詰めて読み続けておりました。

本作の事件、現在なら死刑判決はあり得ないでしょう。
量刑が死刑か無期しかない尊属殺は現在では廃止されております。
廃止の端緒となったのは、どうしようもない父親を耐えて耐えて耐えた末に殺害してしまった女性の事件でした。

No.207 7点 11枚のとらんぷ- 泡坂妻夫 2017/12/23 10:24
奇術に魅入られた人々を軸にして凝った構成で愉しませてくれた作品でした。
評価が分かれるのは理解できます。本筋の殺人事件は無理が目立ちます。特に殺す必要があったのかは大いに疑問です。また、他にあのことを知っている人間がいるのか確かめたかったと犯人が考えたのはこの場合は当然のことですが、そのための小細工はいいちこさん御指摘のとおり大いに疑問有ります。
また手品に関しての不要な部分が多すぎるのは事実でしょう。自分は楽しく読んだのですが。騙す快感、騙される快感、仕掛けを見破るための思考過程(自分はいつも消去法をメインとしております)など奇術とミステリは親和性が高く、作中作に関しては短編ミステリとして、奇術の仕掛けを見破る愉しみもありました。
人物の書き分けは二組の日本人夫婦(特に夫)に関してやや混乱がありました。人物描写はある程度捨ててしまって問題のない作品だと考えておりますが、各人の奇術への傾倒ぶり、その姿勢の違いはもう少し丁寧に書いて欲しかったかも。麻雀にはその打ち手の人生観のようなものが如実に表れると思うのですが、本作では奇術を通じての人物描写をもう少し試みて欲しかったように思います。フィロ・ヴァンスのような心理的推理がけっこう好きなものでして。
幻の奇術師が絡んでの事件全体の構図はけっこう好みです。
奇術の世界大会?の場面が愉しそうでとても良かった。
白状してしまうと、「ビビデバビデブウ」は愛い奴とまでは申せませんが、なんとも憎めない奴ではあります。子供の頃に従妹がよく替え歌を歌っていました。

No.206 6点 人間の尊厳と八〇〇メートル- 深水黎一郎 2017/12/23 10:22
傑作が一篇 良作が一篇。他は水準、もしくは水準以下。
深水氏にはどうしても高い水準を求めてしまうので、やや不満の残る短編集でした。

人間の尊厳と八〇〇メートル 7点 
良作。やはり、ダールが思い浮かびますね。八〇〇メートル走こそ人間の尊厳が試される競技であることに異議ありません(笑)。理屈っぽいようでいて理屈を超えたところに着地する。クールでウェットなこの読み味はまさに典型的な深水作品だと思います。

北欧二題 8点と5点
『老城の朝』『北限の町にて』 の二篇を併せて一篇としたもの。
『花窗玻璃 シャガールの黙示』と同じようにカタカナ表記を捨てて書かれています。漢字に拘ることによって奇妙な異国感が生まれています。
『老城の朝』は本短編集中のベスト。素晴らしい。反して『北限の町にて』は平凡な出来でした。二篇を切り離して二つの短編として欲しかったところ。

特別警戒態勢 5点
動機はまあまあ面白いのですが、どうにも既視感ある話で意外性も乏しい。

完全犯罪あるいは善人の見えない牙 5点
アイデアはなかなかいいし、よくまとまっていますが、なぜか面白みに欠ける。どうにも小説を読んだ気がしない作品でした。語り口に工夫の余地ありか。

蜜月旅行LUNE DE MIEL 6点
ミステリではないが、これは面白かった。バックパッカーの旅慣れたことによる不自由さは自分も感じたことがあります。所得水準が違うんだから、ちょっとくらいぼられてもいいじゃん、自分も大昔インドでそう思いました。

No.205 8点 11の物語- パトリシア・ハイスミス 2017/12/03 16:21
登場人物の心の動きを強制的に追わされて、いつのまにか彼らを理解してしまう。この理解が感情移入という域まで達してしまったとき、このうえなく不愉快な世界が読者を待ち受けています。 
『すっぽん』は、感情移入してしまいました。本当にきつかった。
かたつむりの話はわけがわかりませんでしたが、これって人間などという下らない生物は、かたつむりの餌にでもなってしまえばいい。そんなハイスミスの反人間主義が素直に表出しただけなのでは、なんて勘繰りたくなります。

軽々しく使いたくはない言葉ですが、この人はある種の天才だと思います。

No.204 7点 どんがらがん- アヴラム・デイヴィッドスン 2017/12/03 16:12
河出書房より奇想コレクションの一冊として出版されたアヴラム・デイヴィッドスンの短編集。ファンを自認する故殊能将之氏が原文で100編以上を読んだうえで選出したそうですが、そこまでの努力をして、ファンサイト(現在は消滅)まで立ち上げたわりに殊能氏の解説は淡々としており、好き好き大好き超愛してる感は希薄だった。一言でいうと収録作は『変な小説』ですと。変な中に語り口で読ませるタイプ、奇想で読ませるタイプ、感情を揺さぶるタイプなどなどあって、ここに異国趣味や衒学趣味が入り混じる。
デイヴィッドスンは雑誌の編集長時代に星新一の『ボッコちゃん』をアメリカに紹介した人でもあるとのこと。

個人的にはそれほど変だとも難解だとも思わなかった。わかりにくい作品は半分もない。わかりにくいと思われる作品もよく読めばわかるように書かれている。理解を拒んでいる(ように思える)作品は『尾をつながれた王族』『ナポリ』あたりか。掲載順が良かったのかもしれない。前半に判りやすいものが並んでいて、四作目あたりから徐々に奇想系、解読不能系が姿を現してくる。最初に『ゴーレム』を読まされるのと『ナポリ』を読まされるのとでは印象がかなり変わるだろう。

『さあ、みんなで眠ろう』
技巧的には特に目を惹く点はない。ただただ感情を揺さぶる。大好きだ。
『ラホール駐屯地での出来事』
解説を先に読んだ方がいいかもしれない作品。キプリングの詩を下敷きにしており、その詩を知らないと意味がよくわからないという困った一品。
『クィーン・エステル、おうちはどこさ?』
少数意見かもしれないが、これが一番好き。 
『そして赤い薔薇一輪を忘れずに』
本短編集でもっとも秀れた作品ではないかもしれないが、もっとも忘れ難い作品。デイヴィッドスンの作家性が凝縮されていると思う。最後の一行を読んだ瞬間、タイトルにニヤリ。
『ナポリ』
正直なところ、まったくわからなかった作品。
殊能氏の解釈がなかなか面白い。映画的な作品であり、ラスト一行はカメラに向けた指示のようなもので、この後カメラがナポリの街並みを映し出すことを想定しているのではないかと。なるほど、言われてみれば。
『すべての根っこに宿る力』
無茶な動機を設定で納得させるミステリ。うまいなあ。
『どんがらがん』
滅茶苦茶面白い。

収録作 
ゴーレム 
物は証言できない 
さあ、みんなで眠ろう 
さもなくば海は牡蠣でいっぱいに 
ラホール駐屯地での出来事 
クィーン・エステル、おうちはどこさ? 
尾をつながれた王族 
サシェヴラル 
眺めのいい静かな部屋 
グーバーども 
パシャルーニー大尉 
そして赤い薔薇一輪を忘れずに 
ナポリ 
すべての根っこに宿る力 
ナイルの水源 
どんがらがん

殊能さんには海外作品をもっと紹介して欲しかった……。
もちろん作品ももっと読みたかった。
夭折が本当に惜しまれます。

No.203 6点 老人と犬- ジャック・ケッチャム 2017/12/01 20:47
愛犬を殺害された老人が自分の正義を貫こうとする話。
老人の「復讐」と言えば簡単だが、その言葉に多少の違和感がある。
老人はきちんと謝罪すれば相手を許していたように思えるが、相手が非を認めないためだんだん話が大きくなっていく。老人は数えで68、もしくは69歳。昨今ではこのくらいの年齢だと元気な人がいくらでもいる。戦闘能力も生殖能力も平均をやや上回るだろうが、リアリティは保たれている。文体も老人らしさがある。
プロットは平凡そのものだが、小説としてどこか歪みがある。引っ掛かりがある。独特の読み味と滲み出るような狂気があり、本作を非凡なものにしている。
敵があまりにも愚かだと白けるが、本作はなぜかその点が気にならなかった。主人公の行動もあまり合理的とは思えず、ラストもどこか不条理なように思えた。本書を爽快だとする感想も目にしたが、私はそうは思えなかった。
採点は6点だが、それ以上に楽しめた。
原題は『RED』

ケッチャムは『隣の家の少女』『オフ・シーズン』そして、本作を読んだが、他人様にお勧めできるのは本作しかない(私見)。優等生ではないがエンタメとして普通に楽しめる。『オフ・シーズン』『隣の家の少女』は正直辛かった。エンタメとしては楽しめないし、とにかく疲れた。が、駄作ではないと思う。

No.202 8点 奇妙な味の小説- アンソロジー(国内編集者) 2017/11/23 15:15
幻想小説名作選と並んで入門に最適な奇妙な味の小説集。どれも良質の短編。
個人的には『勝負師』という作品が忘れがたく、未だに好きな短編TOP5に入っている。

暑さ(星新一)
秘密(安岡章太郎)
さかだち(柴田錬三郎)
うまい話(結城昌治)
召集令状(小松左京)
思いがけない旅(河野多恵子)
わが愛しの妻よ(山田風太郎)
スパニエル幻想(阿川弘之)
勝負師(近藤啓太郎)
暗い海暗い声(生島治郎)
二重壁(開高健)
手品師(吉行淳之介)
脱出(筒井康隆)
黒猫ジュリエットの話(森茉莉)
白夜の終り(五木寛之)
夢の中での日常(島尾敏雄)

No.201 8点 幻想小説名作選- アンソロジー(国内編集者) 2017/11/23 15:06
日本ペンクラブの名作選シリーズの一冊。幻想小説を集めたアンソロジー。発売当時は現役作家の作品が半分といったところだったのでしょうが、今となっては現役作家はほとんどいない……。いわゆるイメージ通りの幻想小説ど真ん中の作家は少なくて、作品的にも少しホラーに寄ったものが多い印象ですが、作品の質は総じて高い。いわゆる文豪の変化球的作品が楽しめるのも良し。
本作に限らず日本ペンクラブのこのシリーズは「入りやすくて味わい深い」短編が多く紹介されております。中でもこれは自分の読書人生に大きな影響を与えた一冊でした。特に中井英夫を知ることができたのは大きかったです。
※以前書評した『捕物小説名作選』もこのシリーズの一冊です。

収録作
「夢十夜」夏目漱石
「眉かくしの霊」泉鏡花
「柳湯の事件」谷崎潤一郎
「西班牙犬の家」佐藤春夫
「片腕」川端康成
「魚服記」太宰治
「おとしばなし」石川淳
「恐怖屋敷」柴田錬三郎
「黒いゴルフボール」源氏鶏太
「百メートルの樹木」吉行淳之介
「蜘蛛」遠藤周作 
「待つ女」小松左京
「骨餓身峠死人葛」野坂昭如
「暗い海暗い声」生島治郎
「母子像」筒井康隆
「牧神の春」中井英夫
「風見鶏」都筑道夫
「ボール箱」半村良


No.200 6点 灰色のためらい- エド・マクベイン 2017/11/12 21:14
手作りの木工品を売りにニューヨークに出て来たロジャーは下宿屋で目を覚ます。
冬のニューヨークは寒い。木工品はよく売れた。母さんは元気にしてるかな。
あ、そうだ。警察に行かなけりゃいけないな。

87分署シリーズ最大の異色作。そもそも87分署シリーズを名乗る資格があるのかってくらいの作品。87分署の刑事は幾人か登場するも、能動的に動くことはない。
ロジャーがなぜ警察に行かなくてはならないのかが、良く言えば腰の入った文章でじっくりと描かれる。悪く言えばウダウダグジグジ優柔不断なロジャーに付き合わされる。「この野郎いい加減はっきりしろ」と怒鳴りつけてやりたくなるも、いつのまにか引き込まれている。そして、結論が先延ばしにされることを望んでさえいる自分に気付く。だが、ロジャーの不可解な一面と警察に行かなければならない理由が少しずつ明らかにされてしまう。
意外性はあまりなくて、起伏も少なくエンタメとしては弱い作品かもしれない。
それでも個人的には好きな話で、マクベインの違った持ち味、うまさを感じられたのも収穫だった。そつなく書くだけの作家じゃないんだなあと。ただし、オチはどうも気に入らない。

やっぱり会話が自然でうまいなあ。別に気の利いたセリフもないただの男女の会話の中に登場人物の息遣いが聞こえる。
海外、特にアメリカの作家は会話がうまい人が多い(ような気がする)。
日本人作家が海外の作家に劣る点があるとすれば、それは会話だと思っている。無理をしている感じがしたり、ただひたすらつまらなかったり、ひどく不自然だったり。
※あくまで個人の印象です。また、日本の作家が海外の作家に劣るなどとは微塵にも思っておりません。

No.199 6点 真夜中へもう一歩- 矢作俊彦 2017/11/12 21:06
~確かなことが、二つだけあった。目の前に坐ってトム・コリンズを飲んでいる男があまりに馬鹿なことを頼んでおり、彼が私の古い顔見知りだということだ。~本書書き出し

旧知の横浜医科大学の教室員から二村永爾に調査の依頼があった。大学の遺体安置所から遺体が消えた。仏は医大生であり、学生の関与を疑ったその教室員は二村に遺体探しを依頼する。二村は仏の友人である医大生を訪ねるが、その数日後に遺体は元の安置所に戻っていた。

本職が刑事(とはとても思えない)で休日だけ探偵化する二村永爾シリーズの二作目。このシリーズは原寮どころではない遅々としたペースで書き継がれている。三十五年間で四作。横浜が舞台なのが個人的には嬉しい。かつてアメリカのいた横浜。洋食屋のオムライスやアップルパイが美味かった横浜。
前作『リンゴォ・キッドの休日』、次作『ロング・グッドバイ』の間に挟まれてやや地味な印象もある本作だが、なかなか読ませる。文体、会話、街の雰囲気、ハードボイルドが好きな人なら充分楽しめるのではないかと。
チャンドラーの影響をもろに受けている作家の一人で、文体はもとより筋立てをいたずらに錯綜させてしまうところまで似ている。
文章はいい。日本のチャンドラー(清水訳)フォロワーの中ではトップクラスではないかと思っている。個人的には前に書評した原寮よりも矢作の方がうまいと思っている。
しかもこの人は年を食うにつれてどんどんうまくなっている印象がある。後年の作に比べると本作の文章はかっこつけ過ぎてやや滑っているところも見られる。
筋立てには無駄が多く、無駄なキャラも多いのだが、その寄り道も楽しい。こういうところ含めて大好きな『さらば愛しき女よ』に似ている。
ただ、いまいち決定力に欠けるのも事実。「チャンドラーを読めばいいんじゃない?」と問われると、返答に詰まってしまうところはある。
これが結城昌治だと「ロスマク読めばいいんじゃね?」とはならない。
それでも私は矢作を読みたくなることがある。

No.198 7点 アメリカン・タブロイド- ジェイムズ・エルロイ 2017/11/01 20:41
悪い奴やちょっと悪い奴やすごく悪い奴がケネディ一家の周囲に群がる。金、殺し、情報、利権が飛び交い、大きな渦となって一つの時代を作りつつあった。裏切り、そして、三人の男たちが、アメリカ史上最大の殺しに向けて動き始める。

『アメリカが清らかだったことはかつて一度もない』
エルロイファンには有名なこの一文で幕を開ける、アンダーワールドUSA三部作の第一作目。
ロイド・ホプキンズ刑事三部作の書評をちまちまと始めようかと思っていたのですが、トランプ大統領がツイッターでJFK関連の機密資料を公開するとか言い出したので急慮本作を。
シリーズがLAからUSAと変わり、そのとおりに物語のスケールは大きくなります。エルロイには国家とかそういう大きな話はして欲しくなかったのですが、予想に反してかなり面白かった作品です。エルロイ入門編としても悪くないかもしれません。
ノビー(落合信彦氏)の諸作ではケネディ兄弟=アメリカの英雄でしたが、本作では弟はともかく兄は女好きの日和見主義者でしかない。
アメリカの正義といえばまずはケネディ神話が思い浮かびますが、その神話を粉砕する話です。
またしても主要人物は三名で、そのうちの一人の造型が今までに見られなかったパターンでユニーク。三人の力関係の移り変わりも興味深く、脇を固める連中も相変わらず面白い。
特に良かったのは、歴史的事実を踏まえながら、ケネディへの憎しみがいかに醸成されていったのかを丹念に描いているところ。マフィアとかCIAとかではなく、個人レベルの憎しみを大きな渦へと変換していく。
また諜報、殺しの世界におけるプロの不安定さ。時計のように仕事をこなす組織の歯車ではなくて、良くも悪くも人間としての不確定要素をきちんと描いているところ。
さらに特記すべきこととして、あの人物が登場しない。JFK暗殺を描いた作品で、この人物が登場しないというのは前例があったのでしょうか。これは解説を素直に読めばドン・デリーロが同じ事件を描いた作品『リブラ~時の秤』にエルロイが『やられてしまった』からだと思われます。
ケネディ大統領誕生~暗殺までの流れをまったく知らない方は実在、架空の人物の区別、なにが事実でなにが創作なのかが非常にわかりづらいかもしれません。
ケネディを単なる一人の人間にまで引きずりおろしたのは良しとして、その手法がワイドショー的でやや安易だったのが少々気になりました。 
どの部分が事実かと頭を捻るよりも、JFK暗殺において裏でこのような暗躍があったのかもしれないなあと、そんな風に楽しむべき作品でしょう。
そして、USA三部作はエルロイ第二の頂点(私見)『アメリカン・デストリップ』へとなだれこみます。
個人的にはLA四部作の方が好きなので、本作は7点としておきます。


No.197 7点 - 北方謙三 2017/11/01 20:37
とある自由業から足を洗い、小さなスーパーを経営している滝野和也だったが、悪質な嫌がらせに遭い、それに対処しているうちに過去の荒ぶる血が甦り、過去が自分を引き戻そうとしていることにはっきりと気付いた。

文章はいい(とりわけ好きというわけではありませんが)。導入がいい。この導入がダメだと感じる方はおそらくこの作品は合わないでしょう。エンタメとしてつまらない部分がほとんどない。人物は重要度に応じて相応に書き込まれ書き分けられている。プロットはやや一貫性に欠けるも最初から最後までテーマに沿って描かれ、テーマに貢献し、結果的にそれが成功している。刑事の視点が存在していることで物語にさらなる厚みが加わった。
主人公の行動に理解し難い部分が多々ありますが、これは物語のテーマ上そうでなければならないし、瑕疵ではないと考えます。
主人公が最後に「○○」と、呟くが、これはいくらなんでもくどいし不自然。
もう少し読者の読解力を信頼していいのでは。
気になるのはうまさが少し鼻につくところ。綺麗にまとめ過ぎてしまったのではないかと。
それから、どうしても古臭さがつきまといます。暴対法施行前の臭いがプンプン。初読時にはそれほど古いとは感じませんでしたが、今回の再読では……。自分が知っている時代、知っている感覚が描かれているせいかもしれません。
北方ハードボイルドは忘れられた存在になりつつありますが、あと十年もすれば再評価の機運が盛り上がるのではないかとそんな風に思っています。

No.196 7点 郵便配達は二度ベルを鳴らす- ジェームス・ケイン 2017/10/28 15:30
ミステリとしては6点。小説としては8点。
犯罪を枠にした愛と逸脱の物語だと考えております。エンタメとしては殺人保険の方が上だと思いますが、小説としてはこちらの方が好きです。
子供の頃から作品名はしばしば耳にしたことがありましたが、内容はまったく知りませんでした。母は「いやらしい小説」だと言ってました。
高校時代に書店で見かけて手に取ると、裏表紙に~ハードボイルドの名作~とありました。これってハードボイルドだったのか! 当時チャンドラーにかぶれていた私は即購入。
序盤は退屈に感じましたが、徐々に面白くなっていって、ラストでは強い衝撃を受けました。
感動といってもいいかもしれません。ただ、奇妙なインパクトを与えてはくれたものの、これはぜんぜんハードボイルドではないし、全体としてはそれほど面白いとは思いませんでした。
数年後『俺たちに明日はない』という古い映画を観たときに『郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす』との共通点(テーマが同じだと感じた)に思い至りました。
それから何度か読み返しましたが、若い頃は退屈だと感じた序盤が年を経るごとにどんどん好きになっていきました。最初の二十頁ほどで人物の性格がほぼ描かれ、物語の先行き、テーマも暗示されています。会話も素晴らしい。怖ろしいくらいニュアンスに富んだ書き出しで、この序盤は理想的な一人称文体の一つだとさえ思えてしまいます。

私の持っている本作の版は巻末に『私の小説作法』なるケインのエッセイが掲載されております。非常に興味深いものでした。一部抜粋します。
~私はタフであるとか冷酷であるとか、ハードボイルドであるだとか、そういった文体を試みたことは一度もない。その登場人物であればそう書くであろう文体で書こうとつとめているだけのことである。~
~物語に関心を持たせる前に、登場人物に関心を持たせなくてはいけない。~

レイモンド・チャンドラーの御言葉
「私はケインが嫌いです。汚いものを書くのはいいんです。ケインはそれを汚く書くのです」
チャンドラーの「嫌い」を自分はあまり真に受けていません。
チャンドラーは「自分もやってみたいけどできない」ことを「嫌い」だと表現しているように思えてならないのです。
「ミステリは馬鹿馬鹿しいから嫌い、ヒッチコックはとにかく嫌い、ケインは汚いから嫌い」
でも、おまえ詳しいじゃん。どう思います?
※私はチャンドラー大好きです。

最後に邦題について
『郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす』がベストだと思います。

No.195 8点 鏡の中は日曜日- 殊能将之 2017/10/18 07:56
仕掛けが多くてわけがわからなくなる。凝りすぎにして(ミステリを)愛しすぎな作品。
ミステリを破壊しつつミステリの形式美を再確認するといういささかの矛盾を孕んだ作品です。
キモは作中の以下のセリフだと考えています。長いので一部を抜粋します。
「形式によって生じる美や意味というものがあるんじゃないでしょうか。まったく自由奔放に書くことが、はたして想像力の発露といえるかどうか、わたしには疑問ですね」
「孤高の詩人とファッション好き、この二つは対立するものじゃなくて、その総体がマラルメという人物だったんじゃないか……」

言葉の意味は不明だが形式には忠実、こういう詩は美しいといえるのでしょうか。
さて、では、リアリティはなくて、ミステリの遊戯性、論理性には忠実な本作の動機をどう評価しましょうか。
一般的な見地では、本作の動機は無茶苦茶だと思います。
「そんなことで人を殺す奴なんかいるか!」作中のとある人物も言ってます。
ですが、ミステリの形式美に背いてはいないように思えるのです。ミステリとしては美しい。
本作の各所に見られるリアリティのなさ、ご都合主義は問題にしません。
(問題にするという御意見も至極当然だとは思います)
本作はミステリについて考察するためのミステリともいえるからです。
むしろ、動機にリアリティがないほうが合目的性があるとさえ自分は考えます。
本書について惜しむらくは、ケレン味のなさ。いまいちインパクトが弱い。
ついでに、『鏡の中は日曜日』このタイトルは素晴らしい。

No.194 6点 アイガー・サンクション- トレヴェニアン 2017/10/16 00:25
大学教授のジョナサン・ヘムロックは絵画の蒐集という金のかかる趣味のため、殺しを副業としている。ジョナサンはいつも同じ人物から報復暗殺(サンクション)を専門に請け負っている。今回の依頼は曖昧模糊としたものであった。標的はアイガーの北壁に挑む登山パーティーの中にいるが、名前はまだない。山登りしながら標的をみつけて始末せよと。
そんな依頼ではあったが、どうしても欲しいピサロの絵の購入費用のため、そして、かつて敗れたアイガー北壁に再びチャレンジしたいと、ジョナサンは困難なサンクションに挑む。

トレヴェニアンのデビュー作。面白い面白くないで言えば、面白い。だが、完成度はあまり高くなくて高得点はつけにくい。いかにもデビュー作らしく、自分好みの要素を詰め込み過ぎてまとまりがなくなっている。どうでもいい部分に凝り過ぎていたり、前置きが長くて無駄も多かったり。いくつか例を挙げると、ドラゴン(ジョナサンに指令を出す人物)の造型にやけに力が入っているが、あまり意味がない。ジェマイマのエピソードは格別面白くもなく本当に無駄に思えた(これは好みの問題ですが)。
そして、本作の最大の問題は極めて魅惑的な状況を捻出したもののかなり無理があるところ。
すなわち殺しの現場はアイガー北壁、標的は未知。危険な岸壁に挑みながら、標的を探し、殺さなくてはならない。しかも標的に自分の正体を知られている可能性まである。こんな難易度の高い殺しの依頼を受けますかね。そもそもこの状況で依頼しますかね。
全体の流れ、構成もあまりうまいとは思えない。本作はヘタウマ度が高いと感じる。
つまり、つまらなくはない。筆力はあるし、他にも魅力は多々ある。
経験知識に裏打ちされたリアリティ溢れる描写、登山の準備、特にアイガー登攀シーンが素晴らしい。作者の冷徹な人間観察によるものなのか、作者が変人ゆえなのか、人間を判断したり評価したりするのに独特の視点を持っている。設定盛り過ぎのきらいはあるも癖のある人ばかりで楽しい人物造型、特に庭師が笑える。大したことのない(単純な)プロットを魅力的な場面で盛ってある楽しさ、などなど。
読む人を選ぶところもある作家だと思うし、人によって評価する作品も異なりそうではあるが、小説を書くのは教養人であり趣味人でもあるトレヴェニアンの余技なので、本人が愉しければそれでいいのであります(勝手な想像です、すみません)。いや、ジョナサン・ヘムロックと同じく、高価な絵を買い漁っているので副業が必要だったのかもしれません。
作中、広島、長崎への原爆投下をさりげなく非難しているセリフがあったが、作者は原爆投下後の広島にしばらく滞在していたことがあるそうだ。この日本滞在が後に『シブミ』を書かせる原動力となったのであろう。

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