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平均点:6.41点 採点数:377件

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No.377 6点 盃の中のトカゲ- ピーター・ディキンスン 2018/07/17 23:57
前作の「眠りと死は兄弟」が、ピブルの表象の中に浮かんでは消える解釈の万華鏡といった、「意識の小説」になり読みづらい作品になってしまった。それを反省したのか、「解釈の万華鏡」は変わらないが、ストーリーラインに動きがあって、ピブルもそれほど内省的ではない。イオニア海に浮かぶギリシャの島、イオス島の珍しい風物など開放的な印象があるから、まあそんなに身構えなさんな。
この島にあるボロボロの修道院には、2人の酔っぱらいの修道士が住んでいて、聖画を描く助手の女性(ギリシャ正教だしもちろんマズい)が居たりする..ピブルは「眠りと死は兄弟」で知り合った大富豪タナトス氏に声をかけられる。マフィアとの遺恨からタナトス氏の暗殺が計画されているらしい、との情報を得たのだ。ピブルはタナトス氏の警備顧問みたいな立場で、その側近グループと行動をともにすることになった。タナトス氏が水上スキーをしていると、急にモーターボートが炎上した!これは暗殺の企てか?島に身分を隠してイギリスの麻薬刑事が訪れている。それとも麻薬密輸ルートが関わっているのか?
とディキンスンらしく、決定的な大事件が起こらないまま、最終盤になだれ込んでいく。フーダニットでもホワイダニットでもなくて、「一体何が問題なのか?」を「予感」するのが推理だ、という感覚のミステリである。まあ本当に、捉えどころのない茫洋としたミステリだが、ピブルは今ある情報をいろいろと組み合わせ・組み替えて「何が問題なのか」を推理していく、その変転がまさにミステリである。
ちなみにタイトルの「盃の中のトカゲ」は、島の伝承にある一種の毒トカゲのことで、コップのミルクを飲み干すと、その底に毒のあるトカゲの死体が沈んでいるのを見つけて...という状況。裏切り者探しみたいな趣向もあるので、タイトルはちょっとした比喩でもある。
さてピブル物の残は3作目の「封印の島」(ピブルが警察をクビになるエピソードだ、楽しみ)だが、どうも未訳作品で最後のピブル物の「One Foot in the Grave (1979)」があるようだ。ピブルってどうも情けない印象があるのが、なかなかナイスだと思う。Mr.ビーンみたいなキャラなんだと思う。

No.376 7点 メグレの回想録- ジョルジュ・シムノン 2018/07/12 22:07
メグレものなんだけど、空さんがやり落とされていた作品で、評者もそのうちやりたいなと思いながらも、怠けてたら雪さんに先を越されてしまった。70年代に「モダンの極み」な編集方針で、伝統的なファンの怒りを買ったことで有名なハヤカワの「世界ミステリ全集」で訳されて以来、ポケミスにも文庫にもなっていない「メグレの回想録」である(その前にHMMで訳されたことはあるらしい)。
メグレだって最初から管理職だったわけではなく、駆け出し時代はパトロール警官だって、風紀係だって、平刑事だってやっている。メグレ夫人との馴れ初めまで描いた、メグレの青春を語っちゃった本作は、ファンサービスのための公式薄い本みたいなものだよ。メグレものに親しんでいる読者にとっては、非常に興味深く読める作品なのだが、メグレ自身によるエッセイでしかないから、小説だと思うと困るだろう。それでもね、評者は「メグレの青春」を何かほっこりした気持ちで読んでいたなあ。特にメグレの生い立ちみたいなことが語られる章もあるので、とくに「サン・フィアクルの殺人」は読んでおいた方が楽しめるだろう。
普通のメグレもの小説だと「ミステリ」なので、メグレが感じてること・考えていることは、わざと描写されないことが多いけど、これは「回想録」だ。かなり自分を語っていて、メグレものを読んでいればいるほど、興趣が増す。

人間の神秘的な部分を理解してはいけない--わたしが最も熱心に、ほとんど怒りさえこめて抗議するのは、こういうロマネスクな考え方に対してである。

そうやって得た人間の神秘とは「いわば技術的なもの」だとメグレは言う。ここらへんにきわめてフランス的な知性を感じる。人間の魂と靴とケーキと、それぞれに対する、刑事、靴屋、菓子屋の知識に貴賤の違いはなく、それぞれがそれぞれに、尊い知識なのである。シムノンが明白に気楽に書いているだけに、手の内をかなり明かしているという、作家論として外せない読み物である。

(挟み込みの月報と巻末の座談会が、シムノン受容を考えるにあたって、70年代初めまでのきわめつけの資料になる。そういう意味でも読みでがある。すごい)

No.375 7点 - ジョルジュ・シムノン 2018/07/10 23:25
tider-tiger さんもそういう要素にお気づきのようだが、評者は本作はグロテスクなコメディみたいにして読んでいたなぁ。周囲が「お似合い夫婦」みたいに見ていたとしたら、逆に非常に怖いことになっていたのかもしれない。誰がどうみても悪意を通貨にして、相互に依存し合っていたわけだからね。
だから評者はあえて本作は「大した作品じゃない」(いや面白いが)と言いたい。名作というよりも、シムノンという作家の職人的な上手さが発揮された作品のように感じる。ちょっとした心理のねじれをうまく組み立てて、軽妙に処理した作品、というイメージだ。動物たちが殺されたあと、その主人たちも老年によるエネルギー低下と惰性によって、言葉なきケダモノ同士の「共存」としかいいようのない「生活」に落ち込んでいく、アイロニカルなさまを描いた小品である。
どう見てもミステリじゃないけども、シムノンという作家の多面性が覗かれる作品ではある。成り上がって居場所をなくす男、というのはシムノンの固執的なテーマではあるんだよね....

No.374 9点 深夜プラス1- ギャビン・ライアル 2018/07/08 18:25
一時実家に帰省するたびに、読み返してた思い出がある。スルメ本である。これだけ再読が利く作品というのも珍しいのではなかろうか。今回も何がどうなって...が完璧に頭に入っているにもかかわらず、面白く読めた。
だからね、筋立てなんてどうでもいいんだ。本作は「カッコイイ!」「憧れるぅ」な感情を刺激するファッション・カタログ雑誌みたいな作品なのだ。こういう感情は「記憶」じゃないから、何回読んでも新鮮なのである。ここらを刺激されないのならば...読む意味はなかろうよ。ファッション・カタログ雑誌のヴィジュアルは速攻で古くなるけど、小説のイメージは読むたびにアップトゥデイトされる。ましてやレジスタンスで憶えた「仕事」のやり口が「今では古いか?」と自嘲する主人公なんだから、ちょっとレトロなのも「オシャレなオヤジ」で時代に超然、のポーズが取れる。いいじゃないか。
団塊とかね「本作が好き!」とか言うと、相好を崩す連中多数な作品だけど、作品側というよりも読者側にフォーカスした作品論って必要なんだと思う。「まあいっぺん読んでみな」ってねww
(個人的にはフェイ将軍大好き!鷲巣萌えみたいな感情だ)

No.373 8点 逆転 アメリカ支配下・沖縄の陪審裁判- 伊佐千尋 2018/07/07 23:23
酔っぱらいのケンカの結果、一人が怪我を負い一人が死んだ。逮捕された若者4人の裁判を追ったノンフィクション作品である。なんていうと「はあ?」という声が上がりそうだが、死んだのが在沖米軍の兵士、被告は沖縄人のカタギな青年たち、時は昭和39年で沖縄は未返還の時代、沖縄での裁判はアメリカ流に陪審裁判だった...となれば、話は盛り上がる。
米軍基地との取引メインの商社を経営する主人公(=著者)はその陪審に選ばれる。他の陪審にはウチナンチュは2人だけ、あとはアメリカ人たち。米軍による捜査は極めて秘密主義で、公判で明らかになる「捜査内容」は疑義もかなり多い。「栄光ある軍人を殺害した現地人には見せしめに厳罰を!」と米軍のメンツにかけて、強引な捜査が行われた印象だ。主人公はこの陪審裁判の間に、経営する会社に理不尽な税務検査と、基地からの契約の破棄、という隠然たる圧力を受けていた。
「事実は小説より奇なり」とは言うけども、ここまで誂えたような状況もないもんだ。主人公は陪審の評議で抵抗する。そのさまはまさに「12人の怒れる男」。被告の調書はかなり捜査当局のシナリオに沿った作文臭いものだし、怪我をしただけの米兵は「何も覚えてない」と証言拒否に近い不審な態度だ。物証も混乱している...と主人公は丁寧に指摘するが、「兵士に手を出す不埒な現地人は吊せ!」と言わんばかりの白人の陪審もいる。死んだのは軍曹から一等兵に降格された粗暴な問題兵士なんだけどね。主人公の抵抗によって審理は長引き、みなの嫌気が指してきたあたりで主人公は「逆転」を狙ってある「取り引き」を考える...
本作は大宅壮一ノンフィクション賞の受賞作、というか70年代というと「苦海浄土」とか「テロルの決算」とか注目度が高かかった時代である。それらに負けない力作で、のちに裁判員裁判の導入のときに本作が改めてもう一度注目されたこともあったな。2018年2月に著者が亡くなったこともあり、いい機会なのでとりあげようと思ってた。社会派法廷ミステリとして十分面白く読める「ノンフィクションなのが信じられない」くらいの傑作。

No.372 8点 ドルの向こう側- ロス・マクドナルド 2018/07/07 22:42
「運命」から「一瞬の敵」までの間、ロスマクって本当に外れがない。本作は富裕な両親に反抗して矯正施設に送られた少年が脱走し、家には身代金を要求する電話がかかる....少年は自らの意思で誘拐されたような口ぶりに、この家庭の秘密をアーチャーは予感する。という話。
少年(とその少年に恋してやはり両親に反抗する少女)を軸に描いていることもあるが、本作のテーマは「父性」である。実際少年の父は体育会系パワハラ親父で、少年がアート好きの繊細系なのが気に入らない様子を見せる。この親父、ロスマク作品の中でも一二を争う「嫌なヤツ」な気がするな。で、その代理と言っちゃあ何だが、アーチャーが押し付けがましくないナイスな「父性」を見せてくれる。
キャラ確立以降のアーチャーは、キャラを印象づけて「かっこよく」描こうという意図をほとんど感じないのだけど、本作のアーチャー、何かすごくカッコイイのだ。少女を元カノの家に預けて、一人廃ホテルに赴く姿とか、なかなかシビれるものがあるくらいに、カッコイイ。

あなたが、ぼくの父親だったらよかったのに

これぞアーチャーへのご褒美というものだ。「父親探し」が後期ロスマクの固執的テーマなことは言うまでもないんだけど、自身の固執テーマさえもうまくミスディレクション的に処理しているあたり、なかなか「うまい」作品だと思う。どうも「さむけ」「ウィチャリー家」だけが注目されがちだけど、いろいろな面で本作もナイスな作品だ。

No.371 6点 殺しの挽歌- ジャン=パトリック・マンシェット 2018/07/05 13:36
サラリーマンの主人公が、何の因果か殺し屋2人に付け狙われるようになった...妻と2人の娘から離れて、主人公は逃亡しつつ殺し屋たちと対決する。非常にシンプルな話である。初期の「愚者が...」「ナーダ」ではまだ饒舌な語りやスケール感があってそれに魅力があったが、本作だと「眠りなき狙撃者」の削ぎ落としたスタイルに近づいている。が、まだ過渡期な印象で、そこまでの詩情は立ち上らない。骨組みだけの客観小説、といったもの。主人公も堅気で、殺されるのもたった(!)6人だけである。「ノワールのミニマリスト」とでも呼びたくなる。
約10ヶ月に及ぶ事件が終わったあと、主人公は家族のもとに帰り、事件の一切を記憶喪失のせいにして沈黙する。それは主体的な冒険だったのか、事故に巻き込まれたようなものだったのか、やむにやまれぬ復讐だったのか、主人公は一切語らない。それがマンシェットらしい。ただ酒の好みがスコッチからバーボンに変わり、音楽を聴きながら外環道路を時速145キロで車を飛ばすようになったことだけのようだ。ミニマリズムなのでこの「だけ」にすべての重みがかかる。そういう小説。

No.370 6点 スカル・フェイス- ロバート・E・ハワード 2018/07/04 21:35
日本のホラー小説受容に大きな影響を与えた国書刊行会のドラキュラ叢書というと、「黒魔団」とか「ク・リトル・リトル神話集」が有名だが、蛮人コナンのR.E.ハワードも1巻を与えられていた。表題作の「スカル・フェイス」が短めの長編で、それに加えて「狼頭奇譚」「黒い石」「アシャーバニバルの炎宝」「大地の妖蛆」「恐怖の庭」の5短編を収録。「狼頭奇譚」(ウィアード・テイルズに最初に載せてもらった作品だそうだ)「恐怖の庭」(私家版パンフに掲載の作)の2作が創元文庫の「黒い碑」に収録されていないが、「黒い石(碑)」「アッシャーバニバル(アッシュールバニパル王の炎の石)」「大地の妖蛆」ほどの重要度・名作度はない。その3作はすでに「黒い碑」で論評済なので、ここでは繰り返さない。「恐怖の庭」はコナンの原型みたいな作品で、「妖蛆の谷」「闇の種族」でも出た「現代人が憑依する古代人」というハワード独特の設定が、現代人視点での解説みたいで興味深い。コナンvsコウモリ男+人食い植物、という話。

問題は「スカル・フェイス」、スカーフェイス(傷痕顔)じゃなくて「ドクロ顔」である。ロンドンの阿片窟を根城に白人の絶滅を狙う怪人「スカル・フェイス」の陰謀を、ハシッシに溺れる主人公が正気に返って阻む通俗怪奇スリラーである。悪役の「スカル・フェイス」の設定が盛りすぎ。超古代人のアトランティスの生き残りで、霊薬によってほぼ不死の命を得て、黒人たちを催眠術で、黄色人種を麻薬で操って、白人文明を滅ぼそうとする...主人公のアメリカ人、スティーヴンはロンドンの阿片窟に入り浸り、スカル・フェイスの悪事の証拠を握った外交官の替え玉として一味に選ばれたが、麻薬も魔力も主人公の正義感を完全に麻痺させることはできなかった....一時的に超人的な力を与える霊薬の力を借りて、主人公はスコットランド・ヤードの特命捜査官ゴードンとともに大暴れする。
クトゥルフ神話と蛮人コナンのホームグラウンドとして有名な「ウィアード・テイルズ」に連載された作品である。そりゃ、フー・マンチューとかマブセ博士とか、この手の通俗スリラーはパルプマガジンにいくらでもあったんだろうが、いざ読もうとすると入手が難しい。本作は作者がハワードだからこそ訳されたわけで、そうみたら貴重なものである。妙なオカルトに黄禍論的人種差別がてんこ盛りだが、読み捨てスリラーだからマジに論評するのは意味がない。ヒロインと名探偵ゴードンが無個性とか、主人公が霊薬で超人的にパワフルになるのがご都合主義とか、もうツッコミどころ満載なのは言うまでもないが...
だけどね、妖異に加えて、本作一種のドラッグ小説で、結構ラリラリなところがあるのがホントの読みどころだ。全編実はドラッグによる悪夢でした、と夢オチされても納得しそうだ。

No.369 9点 プリンス・ザレスキーの事件簿- M・P・シール 2018/07/03 21:13
最近ヴァン・ダインを2冊やったのだが、どうもね、ヴァンスのペダントリの底の浅さみたいなものがヴァン・ダインの学歴詐称にも繋がるハッタリに感じられてモヤモヤしてた....じゃあペダントリ、という面では最強で、小栗虫太郎に唯一対抗可能な本短編集を行こうじゃないの。「翻訳生活三十年の訳者も、シール氏の文章には手応えどころか、遂には嘔吐と憎悪と、時には敵意をすら覚えることがあった」と訳者の中村能三氏が泣き言を言うレベルだよ。

(自殺の流行という)この風潮が瀰漫し--やがては猖獗を極める。呼吸することは流行おくれとなる。経帷子をまとうことは、申し分のない正装(コム・イル・フォー)となり、これは結婚衣装の魅力と華麗さ(エクラー)をもつに至る。

ザレスキーが登場する最初の4作は、どれもポオでも「アッシャー家」風の陰鬱さを備えた「怪奇探偵小説」という印象があるが、単に安楽椅子ではなくて肉体的な冒険も備えた「S・S」は、連続する自殺者の舌下に奇妙な絵が描かれたパピルスが見つかるところから始まる。評者は本作が一番好きだ(他の書評のお二方とはバラけるあたりも面白いな)。
現代に生きるアメリカンのヴァンスには神秘性がまったくないのだけど、ザレスキーには神秘がある。刑事事件を追っていても、つっと形而上に逸れてしまうような、危うい戦慄がある。「S・S」も自殺事件の背後に暗躍する斯巴達(訳文がこうだからね、ネタがバレないが...実は中国語の表記がこれだね)由来の形而上学的秘密結社の存在を、そのパピルスに描かれた「死者の船」の図像学のみからザレスキーは透視する....ミステリは最終的な謎解きで「神秘」のヴェールを剥がざるを得ない小説かもしれないが、ザレスキー探偵譚は解決の後も神秘が損なわれることがない。
ザレスキー探偵譚4作に加え、この短編集ではパズルの骨組みだけみたいな「推理の一問題」と、トリックスターめいた弁証家、といったキャラであるカミングス・キング・モンクの登場する3作を収録。全然ミステリではなくてイギリスのカトリックで枢機卿にまでなったジョン・ヘンリー・ニューマンの思想を批判する「モンク、『精神の偉大さ』を定義する」が、ミステリじゃなくもて「らしい」作品。「S・S」に優生学的発想があったり、『精神の偉大さ』はハクスリー風の単純化されたダーウィニズムに準拠しているあたりは今どきだといろいろ気になるなあ。サイコホラー風の「モンク、木霊を呼び醒す」でもザレスキー風の透視を見せてから、悪人たちの同士討ちを誘うアクションで、なかなか雰囲気が、いい。

われらが太陽について言えば、これほど気狂いじみて紅蓮に燃えたち、これほど凄まじい叫びをあげて空を巡ったことはかつてなかった--すべてなんという騒がしさ、なんというスリルだ! まさしく大きな犯罪だと思うがね。

太陽の運行さえもが「大きな犯罪」となる。ロデリック・アッシャーにも似た論理の果ての超感覚の世界を楽しむことが....どう?できるかな。

No.368 7点 カナリヤ殺人事件- ヴァン・ダイン 2018/07/01 23:39
ヴァン・ダイン第二作も、1923年に起きた「ドット・キング殺し」に基づくストーリーなのだが、「ベンスン」と「エルウェル事件」の関係よりはずっと自由度が高い印象だ。「ベンスン」よりも展開もこなれていて、格段の進歩を見せている。今回も前回と同じく「アリバイも物証も全部無意味!」なミステリである。
とはいえ、後半にヒース部長が立てて見せる推理が無理がなくて見事だとか、実際の真相の人の出入りとその心理的辻褄もなかなか、いい。「ベンスン」とは比較にならないくらいにうまく組み立てられている。まあ本作は伝統的に、1)犯人のトリックが古臭い、2)その発覚が偶然、3)密室状況が針と糸、4)性格からの推理が好まれない...というあたりが批判されるのだけども、改めて読んでこれらは不当な判定のように感じる。というのも「ベンスン」から引き続き、本作も「アリバイも物証も全部無意味!」というのが作品コンセプトの根底にあるからだ。ヴァンスはあまりに選民的な探偵のために、無様で機械的なアリバイ・トリックが解らずに、証拠も偶然手に入る。トリックもバカバカしく、証拠も棚ぼた、それでいいじゃないか、コンセプトに忠実な結果と肯定するのがナイスと思う。
で、ついでなので1929年の映画も見た。今どきだとYouTubeに上がってるのが素晴らしい。時代の寵児だったルイーズ・ブルックスは被害者で、頭に少し出るだけだが、コケトリィが凄い美人さん。レビュー・ショーをちゃんと絵にしているので、原作ではアリス・ラ・フォスとの会話の中でちょっと出るだけで欲求不満なのが解消される。実際、本作地味だけども雰囲気のイイ映画である。一応そのアリス・ラ・フォスが4人のうちの一人の息子と恋仲で、オリキャラの息子に容疑が...との脚色があってアリスがサブヒロイン(ジーン・アーサー)だったりする。まあヴァンスのウィリアム・パウエル、マーカムの後ろに立って腕を組んでるだけで絵になる。あと、トニー殺しで、トニーが机に向かって脅迫状を書いている...凝視するカメラ、突如フレーム外から紐を持った手が伸びて絞殺される、という流れが、ミステリ映画の常套手段である「顔を隠した(犯人主観カメラ風の)殺人シーン」の史上初だ、という話を昔読んだ記憶がある。

No.367 7点 別名S・S・ヴァン・ダイン ファイロ・ヴァンスを創造した男- 評論・エッセイ 2018/06/29 18:46
本書は労作であるが、堅苦しくはなくて興味深く読める。ただし、本書は(本サイトの読者には)残念なことに、ヴァン・ダインの評伝である以上に、W.H.ライトの評伝である。
1910年代に過激で辛辣、お騒がせなメンケン一派の文芸批評家から出発し、画家として名を成すことになる弟スタントン・マクドナルド=ライト(どうやらアメリカの抽象絵画の先駆者、ということになるようだ。ググって見たらなかなかイイ絵を描いている)の影響でいくつかの前衛的な美術評論を出した男が、いかに探偵小説作家として再デビューし、第一次戦後のバブルと大不況の時期に、社会的成功と没落の日々を送ることになったか、についての客観的だがやや辛辣な評伝である。実際、こうやって伝記的事実を追っていくと、ライトの大きな特徴が見える。それはある種ジャーナリスティックな外面性、といったらいいのだろうか、本人は芸術的な表現活動に強く憧れているのだが、どちらか言えば外部的な刺激に強く左右されがちで、そのような刺激をやや誇張気味にプレゼンテーションする能力、といったものにライトは長けているようだ。評論家として一番の成功を収めた美術評論でさえ、シンクロミズムが「うまくいかなかったのは兄の自己宣伝のせいだ」とまさにその弟が言っている。

『近代絵画』は途方もなく退屈な批評の時代に出現した、溢れんばかりの情熱に満ちた本だった。それは同時に狡猾で狭量な見解でいっぱいの驚くほど偏った専門書であった。

ヴァン・ダインの成功というものも、ライトの批評家的な「戦略眼」と噛み合った、スクリブナーズ社の担当編集者マックス・パーキンズの共同作業にあるようである。ライトの成功の要はやはり、ファイロ・ヴァンスという人物の創造、それはライト自身を戯画的に理想化したキャラクターであり、このキャラを具体的に語る能力を担当編集者はライトに認めた。そして念を入れた売出しのスケジュールのもとに、「ヴァン・ダイン」という商品が売り出されていく...ライト自身もその「ヴァン・ダイン」を積極的に演じていくさまが非常に興味深い。当初はライトとしての過去は隠されたが、後にはおおっぴらにというか「自虐的に」と言っていいほどに「ライトの(かなり粉飾された)過去」さえも商品化されていく。
絶頂を極めれば終わりも近づく。最初の3作は当初の企画、「僧正」は最初の3作の中で思いついたネタだが、その後の作品は「外部」的な刺激に対するライトの反応みたいなものだ。「スカラベ」は当時の古代エジプトのブームを当て込んで書かれ、「ケンネル」「ドラゴン」「カジノ」はライトの新しく移り気な趣味の中で生れ、アメリカの消費生活の落とし子と言ってもよかろう。「カナリア」に始まる映画の成功と一攫千金もつかの間、ヴァン・ダインの商品価値の低下によって、ハリウッドの側に主導権が移っていく。
「ガーデン」「誘拐」が映画に合わせたヴァンス像の修正だったが、小手先の修正では間に合わなくなり、「グレイシー・アレン」「ウィンター」での「映画向きのシノプシスにヴァン・ダインという『名前』をつけるだけ」の役割に落ちぶれることになる。その時、ライトにはもう残された時間はなかった。
こうライトの人生を読んでいって自身の若き日の自伝小説『前途有望な男』のタイトルそのままの、野心と自己顕示欲と、やや外面的な才能を持ったアメリカの若いインテリが、ある意味悲惨である意味滑稽な人生、最良の場合でも欠点や欠陥に付きまとわれ、メンケン一派や弟などの過去を知る人々とは微妙な関係にならざるを得なかった人生を、一気に鳥瞰する大河ドラマのような労作である。

(すでにタイトル登録があったから使いましたが、本書のカテゴリは「評論・エッセイ」ではなくて「伝記・評伝」が適切です。変更できたら幸いですが...)

No.366 6点 ベンスン殺人事件- ヴァン・ダイン 2018/06/29 08:19
ガーネットさんも指摘していることだが、本作は1920年(だから刊行の6年前に)現実に起きた「エルウェル事件」をベースにして書かれた作品である。「エルウェル事件」自体は執筆時点で迷宮入りしているから、作者の狙い自体は新「マリー・ロジェ」だった、という風に見てよかろう。だからね、本作が登場したときのインパクトというのはこんなものだな。

謎のインテリ作家、あの「エルウェル事件」を大胆推理! デュパンを思わすスノッブ探偵曰く「アリバイも物証も全部無意味!心理的には犯人なんて決まってる!」

..「売れ筋」狙ったね。ナイス企画というべきか。この事件の情報はクイーンの「国際事件簿」にあるけども、どうやら「エルウェル事件」での関係者のアリバイはそもそも強固で、「ベンスン」同様だったようだ。こういう「インパクト」をベースにこの作品をイメージすると...それこそ「テーブルをひっくり返す」ようなショックを目指し、しかもそれにベストセラーの形で世論が応えた、というさまである。このリアルとショックを想像すべきなんだよね。ヴァン・ダインがシリーズ全体に引続ぐ、架空の経歴の注釈、現場図面(推理の役にはまず立たないがね)、章に日時を付ける習慣などの、意図的なドキュメンタリ・タッチも現実の事件をベースにしたところからの発想だ、と見ていいだろう。
まあ評者、こんなこと書きたくなったのは、ハメットのコンチネンタル・オプ物がことさらに実話風のオチを強調するようなあたりからでもある。ヴァン・ダイン=W.H.ライトはいわゆる「メンケン一派」で、セオドア・ドライサーを筆頭とするアメリカ流のリアリズムを称揚した批評の流れにあるわけで、ライトが編集長をした「スマート・セット」の赤字を埋めるために「ブラック・マスク」が創刊されたという、意外なつながりもあるようだ(なぜかハメットとヴァン・ダインはいろいろなところで因縁があって面白い...)。
どうも日本の作品受容史からくる「本格史観」みたいな作品観というのは、「その後の展開」から遡及的に作品を解釈する傾向が強くて、実態と離れて情報が少ないところで想像されたイデオロギーみたいに感じることもある。どうせ訳も新訳に切り替わってきたあたりでもあり、作品理解も更新すべき時期なんじゃないかとも思うよ。「別名S・S・ヴァン・ダイン」なんてイイ本もあるしね。

No.365 7点 フェアウェルの殺人- ダシール・ハメット 2018/06/27 20:58
ハメットというと当然のことながら、ピンカートン社での探偵の経歴があって..というのが枕詞のようなものなのだが、そういう経歴を一番投影したのがコンチネンタル・オプ、特にその短編であることは言うまでもない。本書はオプの探偵譚だけでまとめた短編集で、たとえば初登場の「放火罪および...」が収録されている内容である。
アクション冒険味の強い中編「新任保安官」「王様稼業」はともかく、それ以外の5作は結構「ミステリ」している事件、と皆さん見ているようだが、まあそれは間違ってはいない。けどね、ちょっと思うのだが、ハメットが書くとたしかにひねった真相にはなるのだが、何か「実話っぽい」印象を与えるのだ。まあどこまで経験したことでどこからが創作なのかは、わかったもんじゃないのは承知の上だが、ロマンよりは幻滅によって「世の中こんなもんなんだよ」なリアリティを与えることに成功しているわけだね。

いつも映画ばっかりみて明け暮れているもんだから、もっともらしい話というものについての考え方がずれちまっているんだ

なるほど、これミステリの読者に対する痛烈な皮肉だと、逆に今強いて読むべきなんじゃないのかな。逆にたとえば「ベンスン殺人事件」を敢えて「実話ベース」と捉えるような見方をするのならば、ハメットとヴァン・ダインの差というものもけっこう縮めて見ることもできるのかもしれない。
(けど「夜の銃声」のオチには笑ったな...さもありなむ)

No.364 6点 ハードボイルド・アメリカ- 評論・エッセイ 2018/06/26 12:19
ロスマク「ミッドナイト・ブルー」で小鷹氏のハードボイルドに対する真摯さに妙に評者は打たれてしまった...なのでちょっと古い80年台の初めの氏のハードボイルド研究、といった感じのエッセイを。
この本はレイス・ウィリアムズからスピレインまでを扱っている。なので評者が気にしていたロスマクの晩年は対象外だ。仕方がないが、それでも「女を探せ」の舞台裏などの情報がある。
本作の目玉みたいなものはいくつかあって、
・アメリカで出た復刻出版を利用して、キャロル・ジョン・デイリイをちゃんと紹介している。多分日本初。
・ハメットを長編ではなく中短編を軸に考察している。当時1/3がまだ訳されていない。
・メロドラマとしての「マルタの鷹」。
・パルプ雑誌の群小作家たちとパルプ雑誌の実態の紹介。
・ラティマーにも一章を費やして、ハメットとチャンドラーをつなぐ作家として考察。
・「大いなる眠り」は道化師マーロウが物語るコメディだ。
などなど、小鷹信光といえば、日本のハードボイルド受容のメインストリームを作った人のわけである。多方面への目配りの良さが素晴らしく、複眼な良さを感じる。バウチャー流の「ハメット・チャンドラー・マクドナルド・スクール」って一種のイデオロギーだ、と小鷹氏も見ているからなんだろうなぁ。
でまあ、評者なんぞ、チャンドラーの浪花節にやや批判的な立場なんだけども、小鷹氏はまあその浪花節の家元なわけで、評者クールすぎたかなと反省しきり。評者的には扉絵に紹介されている「大いなる眠り」の内容をパロディにしたMilt Gross のマンガ「I Won't Say a Word About Raymond Chandler's novel "THE BIG SLEEP"」が実にナイス。昔雑誌でこれを見て大笑いした記憶がある。いやほんとこれ、当たってるからね。今はググったら見つかるよ。

追記:ちょっと調べてみたんだが、ハメットもチャンドラー(戦後は別)も、最初の2冊以外のロスマクも、長編描き下ろしの版元は全部クノップ社である。バウチャーのアレって、クノップ社の宣伝文句みたいなものかもしれないよ。ロスマクの移籍も、ひょっとしてバウチャーが仕掛け人?

No.363 9点 レディに捧げる殺人物語- フランシス・アイルズ 2018/06/25 15:19
これは素晴らしい。「殺意」を完全に上回っていると思う。アイルズ=バークリーのアイロニカルな視点が、本当に多義的なこの小説の深みを興趣深いものにしている。
ていうか本当はこういう作品をクリスティは書くべきだったんだよね。クリスティが書くべくして書けなかった内容を、アイルズは見事に補完したような印象を受けている。実際、1)女性主人公視点、2)夫はとてもクリスティ犯人らしいキャラ、3)田舎地主のカントリーライフ、とクリスティお得意設定がこれでもか、と盛られているのに意外にクリスティはこういう作品が書けなかったのが不思議である。遅ればせながらで晩年の「終わりなき夜に生まれつく」が本作のエコーなんだろう。
本作がイイのは、夫ジョニーが主人公に一切強制や暴力を振るうことがないことだ。モラハラにもならないくらいだ。それでも独特の「人たらし」な魅力によって(ちくしょう、ユーモアも抜群だ)主人公リナをいいように操り尽くす。何といっても、ズボラで怠惰な殺人者、というのがなかなかないキャラだ。バークリーのセンスが冴えてるよ。ヒロインのリナが「女教師」タイプで「悪童」な夫にコントロールしようとして実のところ心理的に依存するようになるプロセスを丁寧に描ききって、この独特な力関係から生まれる「自分が殺される事件の犯行前の従犯者」というアクロバットな関係を示してみせたのだ。

きっと私を殺すときには、目に涙を浮かべるだろう

そうサイコパスは奇妙に矛盾して、熱烈に愛していても、ささいな利益のために愛する者を殺す。そしてその死を本気で悲しむのだ。

で...だが、本作の映画化であるヒッチの「断崖」なんだけど、結末改悪という声が大きいのは言うまでもなし。実のところ評者本作を改めて読み直し、リナの「自意識過剰で自分の感情に溺れる」あたりにイラっとくるものがないわけでもないな。だからヒッチみたいなことをしたくなる気持ちもわからなくなんだよね。「断崖」のようなラストを決して小説が否定しているか、というと実はそうでもない。ここは一種のリドル・ストーリーとして読むのがより趣き深いと思うんだがいかがだろうか?

No.362 8点 野獣死すべし- 大藪春彦 2018/06/24 17:24
あれ、当然本作書評がすでにあると思ってた。ないじゃん。評者だったらニコラス・ブレイクのを書かなくても、こっちを書くよ。
角川の文庫だと、「正編」な「野獣死すべし」は約100ページの中編で、それに約200ページの「復讐編」が付いている。「復讐編」はまあ、ハードアクションのフォーマットを作ったような作品で、大藪がオリジネイターであることは間違いないけど、後続作品なんてわんさとある。その中に埋没しても、評者的にはどうということも、ない。父を騙して会社を奪い、妹を捨てて自殺に追い込んだ京急コンツェルンを潰す復讐を伊達邦彦は誓い、遊覧船上のクリスマス乱交パーティを襲撃するわ、現金輸送車を襲撃するわ、妹を捨てた若社長とその新妻を恐喝して自殺に追い込むわ、果ては銀行本店を襲撃して金庫の有り金をさらうわ...と派手派手な展開とマニアックな銃器知識あたりを楽しむノワール、で何の問題もなし。
しかしね、「正編」は違うんだ。これは小説というよりも、当時無名の青年だった大藪春彦本人の抱えた青春の鬱屈とニヒリズムを渾身の力で叩き込んだアジテーションなのだ。本作を読むというのは、読者が自分自身にこのアジテーションに感応する部分があるかないかを、自らに問いかける行為だ。だから本作が小説として今ひとつちゃんと整ってないこととか、そういうことが気になる読者は、これに感応する部分が薄いんだろうね。まあその方が平和というものではある。逆にいうと、こういう逸脱的な部分というものを、江戸川乱歩もしっかり抱えていて、そこで大藪登場のきっかけをつくったことになる。
もちろん本作にはアメリカのハードボイルドの影響が極めて強く、文章も「正編」は本当に、いい。

黄色っぽい豹の両眼がぐんぐん接近してくると、やがてそれは目も眩むばかりの光で、ぼやけたスクリーンを貫くヘッド・ライトとかわった。

映像を目で見るかのような、極めて「視覚的な」文章だ。この視覚性に支えられて、正編での強烈なテンションを維持し続けている。ハードボイルドでも最上ランクの文章だと思う。
だから逆に、この時期この人にしか書けるわけがない級の作品である「正編」をきっかけに、大藪春彦が流行作家になれたことの方が、評者はどっちか言えば不思議なくらいだ。この正編の毒は強烈である。まあだけど、今読んでみるとやや青臭い部分も多々ある。その青臭い部分も含めて「青春の毒」を試したい読者は...いかがかな?

No.361 7点 メグレと殺人者たち- ジョルジュ・シムノン 2018/06/24 16:42
最近は新たなシムノン読み、雪さんが本サイトに参戦されているようである。シムノン好きが増えるのは、評者も大歓迎である。どうせシムノン全作品の書評なんてそれこそシムノン自身でもできるのかしら?な超多作家だし、本当に書き手が増えるだけでも意味があるくらいなんだが、雪さんは意欲的に書いていらっしゃる。喜ばしい。
で本作、その昔の河出の50巻のシリーズのNo.1 である。なつかしい。シリーズ第1回配本になるんだから、面白い作品を選ぶよね。ホームグランドの事件、展開も派手でメグレ夫人とのやりとりも面白く、メグレもたっぷり飲食する、という「戦後のメグレもののエッセンス」的な作品だ。
執務中のメグレに電話がかかった...生命が危ういとメグレの助けを求める見知らぬ男からの電話である。追跡者を振り切るためにカフェを点々とする男と保護のために向かわせた刑事はうまくコンタクトできないようだ。連絡が途絶えた男は、果たしてその夜、コンコルド広場で死体になって見つかった!
というのが導入。本作メグレの推理がなかなか冴えている。ちょっとした手がかりから男の身元、逃走の経緯、殺されるきっかけになった出来事など、気管支炎で寝込んだり、反面全然眠れなかったり、ベストコンディションとは言い難いメグレがなかなかの名探偵ぶりをみせる。この事件の背景が「メグレ夫人の恋人」に入っている短編と共通する設定があって、獰猛なマリアの姿が印象的だったりする。あとやっぱりねえ捜査の過程のなかでメグレが「ビストロを経営する」のが本当に素敵。こういう「ゆるさ」がメグレらしい。
あと邦題がやや意味不明かな。原題直訳は「メグレと彼の死体」で、電話男の死体をメグレが「自分のもの」と奇妙な所有権を感じるのがタイトルなのだが、これだと「メグレ死んだの?」と誤解されかねない。「メグレと武装強盗団」だと面白くない上にネタを割りすぎている。やっぱりね「メグレ、ビストロを経営する」が一番いいと思う(苦笑)。

No.360 7点 失踪当時の服装は- ヒラリー・ウォー 2018/06/23 21:19
「S/N比」という言い方があるが、要するにシグナル(意味のある情報)とノイズ(意味のない情報)の比率を数値で出す指標のことである。本作の「S/N比」が極めて低いのが最大の特徴だろう。事件が起きることをきっかけに、その周囲の出来事がすべて事件に集約する「情報」として解釈しなおされることになるわけだが、必ずしもすべての出来事が事件に結びつくわけではない。無関係・無駄な情報の方が圧倒的に多いのがリアルというものだ。
この現実のS/N比は、はっきり言って「小説にならない」。この小説にならないS/N比を、そのムダを無駄として、無関係を無関係として、しっかりと描ききってしかも面白く読ませたのが本作の手柄である。地方都市の警察署長にフォーカスを据え、ほぼ一切の心理描写を排して忠実なカメラアイとして追った視点が極めてクールである。カメラアイであるからこそ、主観的なシグナルとノイズの意味づけにこだわることなく、ノイズもシグナルも等価に扱う独特な視座を示しているように感じる。ノイズもシグナルもすべて包括した「事件の全体像」を、読者が目撃できたような読後感を得ることにつながるのだ。

おれは彼のことを、なにもかも知りたい。彼は独身だ。性の衝動をなんらかの方法で処置しなければならんわけだ。どういうふうにしていた、知りたい。彼が海兵隊にいたときの女関係を知りたい。彼の日常生活の習慣を知りたい。十二月十六日以後の彼のあらゆる行動を、髪をくしけずることからトイレットに行くことにいたるまで、ことごとく知りたい

よしんばそのほとんどが、無意味なノイズであるにせよ、である。ノイズを「聞く」ことができるかどうかで、本作の面白みを感じれるかどうかが決まるだろう。ミステリのノイズミュージック、かしらん?

No.359 7点 エラリー・クイーンの国際事件簿- エラリイ・クイーン 2018/06/23 20:52
雑誌の連載カラムのかたちで発表されたショートショートくらいの規模の犯罪実話集である。本作がきわめて興味深いのは、ダネイが一切かかわらないリー単独の仕事だ、ということである。クイーンというと、プロット=ダネイ、小説としてのリアライズ=リー、という分担だと言われる。ダネイは別なライターと組んでの作品がいろいろあるのだが、リーの単独作は実質本作きりである(まあハウスネームの方は監修していたらしいが)。評者結構なリーの文章のファンだから、楽しみにしていた...
で本作、期待に違わないくらいに面白い。とくに前半の「国際事件簿」が、いい。実話のショートショート(平均で文庫8ページほど)なので、状況説明が終わればいきなり解決、というシンプルさの制約のなかで、国際色豊かで奇譚といった方がいいような奇抜さと残酷さを楽しむことができる。新青年で昔人気を博したモーリス・ルヴェル(「夜鳥」で文庫がある)のような味わいだ。狭い意味での犯人対探偵のミステリではなくて、もっと人生な味わいが深いスケッチである。国際色豊か、というのも犯罪実話なので文化的な軋轢を覗かせる作品もあってそういう面の興味も深い。個人的には「モンテカルロ クルーピエの犯罪」(カジノのディーラーに不正の疑惑が...)なぞロアルド・ダール風のオチ付き掌編で、好きだなあ。あと「エルサレム 聖地の受難」はクイーンがたまに覗かせる神秘主義の香りがする。
後半の「事件の中の女」は国際色はなくなるが、残忍さでは前半を上回る。名古屋のタリウム少女事件に似た事件を扱った「女王陛下の沙汰あるまでは勾留」など異常性格者の犯罪が目につく。結構シリアルキラーの話もおおくてグロ味があるので苦手な人は何である。
この2つの中間に2つ「私の好きな犯罪実話」と題して、サイレント期のハリウッドで起きたテイラー事件(チャプリンとも共演した喜劇女優メイベル・ノーマンドが没落するきっかけになった..)と、ベンスン殺人事件のモデルになったエルウィン事件を取り上げている。それこそこれは、若き日のリーにショックを与えた事件だったに違いない。そうだね、ベンスンも実話ベースという切り口で読むのも面白いのかもね。

No.358 8点 天使と宇宙船- フレドリック・ブラウン 2018/06/21 21:53
ヘヴィな作品/書評が続いたのでさすがの評者も疲れた。こんなときにはお気楽極楽な作品を読むに限る。というわけでフレデリック・ブラウンでもSF系の短編集である。もちろん狙いはかの傑作「ミミズ天使」。
本作作者による序があって、SFとファンタジーの違いを説明している。SFでは現実にないフィクションの部分について「もっともらしい説明を必要とする」のだが、ファンタジーは「説明を要するものは、なにもない」。本作ではどの作品も「もっともらしい説明」をしているからSFということになるのだが、その「もっともらしい説明」を最後に持ってきて、その説明に向けて作品が収斂していくのをブラウンは得意とする...だからその「説明」がきわめてミステリっぽい「解決」になる。斎藤警部さん同様に、本作きわめてミステリファン向けと評者も思う。
でまあこの短編集、改めて読んでもやはり中編でボリューム感のある「ミミズ天使」が頭一つ抜き出た傑作である。ある朝、主人公が釣りに出かけるのに餌のミミズを庭で掘って捕まえようとしていたら、そのミミズが急に後光と白い羽を生やして昇天していった...主人公はそれからさまざまなシュールで奇怪な事件に遭遇する。その原因は?
まあ落語みたいなおバカな話ではある。が最上の落語を聞いた気分になれるよ。一度読んだら終生忘れられないくらいの印象を残す傑作。そういえば波津彬子によるマンガがあるんだね。絵になったのを見てみたいな。
本短編集の最後のあいさつは「Fuck yourself」である。文脈によってはこれだってナイスになることもあるんだよ。

No.357 6点 わが名はアーチャー- ロス・マクドナルド 2018/06/20 19:03
ロスマクの短編集である。創元の「ミッドナイト・ブルー」とは「女を探せ」と追いつめられたブロンド(罪になやむ女)」の2作が重複する。創元は小鷹信光訳だが、こっちは中田耕治訳で下世話な口語体がハードボイルドらしい。
でだが、やはり思うのは「女を探せ」の特異性みたいなものだ。どうやらロスマクは兵役前に書いた「暗いトンネル」と復員後の「トラブルはわが影法師」でドッド・ミード社のスリラー描き下ろし作家でデビューしたわけだが、それ以前には商業誌での短編掲載があったわけではない。三作目の「青いジャングル」からはクノップ社に移っているわけで、たぶんドッド・ミードの2作はそれほど注目されなかったのでは、とも思われる...しかし、復員直前の太平洋上で「女を探せ」を書いて、EQMM 短編コンテストに応募したら入選して、ロスマクを長らく贔屓にしてくれたアンソニー・バウチャーともご縁ができる。でしかも「女を探せ」は主人公名をリュー・アーチャーに直してこの短編集のラストに入ることになった。レトコンみたいだがアーチャー初登場作といえばそうだ(キャラは印象が少し違う)。本作こそが「暗いトンネル」「動く標的」以上に「ロスマクの出世の糸口」というものかもしれない。
やはり中田耕治訳で読むと、とくに本作の「ハードボイルドらしさ」みたいなものが際立つんだね。しかも本作ロスマクでは珍しいことにトリックと解釈可能なネタがある。復員兵士の妻、という当時のありふれたネタなんだけども時事的な背景、重厚なんだがささくれた不吉な雰囲気と、社会的な空気感というあたりで後にロスマクが切り捨てていったところの「(評者に言わせれば本当の意味での)ハードボイルドとしてのレーゾンデートル」が決して暴力的ではない本作にちゃんとある。
まあそういう意味で、「ミッドナイト・ブルー」で読んですぐに「わが名はアーチャー」で再読することになったけど、本作再読した意味があったように感じる。
まああとはどうだろう、普通に書けているくらいの感じ。「自殺した女」が結構な地獄絵図だが、これそういえば「悪魔がくれた五万ドル」だ。なつかしい。ロスマクの長編だとプロットが錯綜してジュブナイルには向かないから、短編を子供向けにしたんだね。

No.356 7点 ミッドナイト・ブルー- ロス・マクドナルド 2018/06/19 10:16
本質的に短編作家じゃないロスマクなので、日本で出ている短編集は2つ、短編の作品総数も12作しかない。両方の短編集が手に入ったので、連続して全短編を読むことにしよう(未収録が2作あるので計10作である)。
ポケミスの「わが名はアーチャー」は7作収録し、創元の本書は5作収録しているから、7 + 5 - (12 - 2) = 2 となって、「女を探せ」と「追いつめられたブロンド(罪になやむ女)」の2作が重複する。ポケミスは1958年までのマンハントとEQMMに掲載した作品を初出とするアンソロの翻訳である。創元の本書は重複作以外は、「わが名はアーチャー」が出た以降に書かれた3作ということになる。しかし本書の価値は、収録作品というよりも、ロスマク自身による評論の「主人公としての探偵と作家」、訳者の小鷹信光による「ロス・マクドナルドの世界」と題した評論+本人インタビュー記事&1983年の没年までのロスマクに対する評論・書評・研究まで含むロスマク全書誌データ、の「超豪華なオマケ」の方にある。評者7点つけちゃったが、ほぼこのオマケに対する評点であって、小説に対する点ではない。
というか、ロスマク自身による「主人公としての探偵と作家」、これいろいろな意味で必読でしょう。「教科書的」と評されることがあるくらいに、極めてよくまとまった「ミステリの主人公=探偵とは何か?」をめぐる考察である。ロスマクという人の批評能力の高さを窺わせる内容であるのだけども、他人(ポーとデュパン、ドイルとホームズ、ハメットとスペード、チャンドラーとマーロウ)を扱う際には極めて冴えた考察をする。

探偵小説の近代における発展はボードレールに端を発しているという仮設を、かつて私は主張したことがあるが、私が問題にしたのは彼の「ダンディズム」と都市をこの世の地獄とみなす洞察力だった。

....ベンヤミンって当時そんなに紹介されてないよ、なあ。

主人公の感受性に焦点をしぼっているチャンドラーの小説は、感受性の小説と評してもよいほどだ。

...同感。と極めて他人を評する能力が優れているのを目のあたりにするのだけども、自身に関するあたりがやや問題がある上に、どうもロスマクの自己認識が文脈から離れてクリシェとして使われ続けているあたりに、評者は結構疑問に思うことも多い。

彼は、行為する人間というより質問者であり、他者の人生の意味がしだいに浮かびあがってくる意識そのものである。

この「質問者」というタームが非常に便利な評語として使われてしまっているけども、ここでロスマクが重視しているのは「意識」という言葉のように感じるよ。小説の進行を通じて形成されてくる「アーチャーの意識」、続く文章で語られる「主人公である探偵をその小説の心とみなすこの概念」は一人称による語りの中で解明される謎、と顕になる悲劇という「流れ」の中で理解すべきタームだろう。しかしこの自己規定は、あまりに受動的なものでありすぎる。またこうすることで、ロスマクは自身の小説を「探偵小説をメインストリームの小説の意図と範囲に近づける」とある意味「いやらしい」言い方をしているわけである。
まあロスマクって人は、「別れの顔」の「文学的陰謀」によって、ジャンル小説であるミステリの作家というよりも、「一般小説の中でのアメリカ的巨匠」というジャーナリスティックな位置づけになった経緯もあるわけ(今の日本でいうと高村薫ポジションだろうな)だが、それでもじゅうぶんに「嫌な」言い方をしてくれている。
逆にいうとね、評者は「主人公の行動が社会正義のようなお題目でなく自身のエゴイズムに基づいている」ときに、「ハードボイルドらしさ」を感じるわけだが、この見方だとロスマクの後期からは「評者のハードボイルド」からは外れることになる。ロスマク=ハードボイルドから出発して独自の小説を書くようになった作家、で充分なように思うよ。
でもう一つのオマケ小鷹信光の「ロス・マクドナルドの世界」は非常に力の入った「賛江」にならないロスマク論である。小鷹氏は評者同様に晩年の作品を全然買ってない。テーマ、技法に対する「病的」固執を批判し、海外での同様な意見を紹介している。

ロス・マクドナルドは「アンチ・ヒーローになりかかっている」主人公、リュー・アーチャーと、もう一度衝撃的な対決をすべきなのだ。彼の創造した「分身」を「質問者」の地位から解き放ってやればいいのだ。それは、作家自身の精神の解放にもかかわっている。

と「メインストリーム小説に近づく」という固執からの、ロスマク自身の「解放」を小鷹氏は提言さえしている、という異例の文庫解説である。小鷹氏の真摯さが伝わる...この真摯さは、この小論に付された短編小説の初出と経緯、評論・序文などの書誌情報などをまとめた付録部分にも強く現れている。

本書、なので小説の方がオマケである。小鷹氏のロスマクに向かい合う真摯な態度に評者は感銘を受けた。こんな風に作家に向き合うべきだと襟を正す思いである。小説としては...そうだね、表題作になった「ミッドナイト・ブルー」が一番いい。長編「運命」の原型になった「運命の裁き」は、筋立てはほぼ同じだが犯人も真相もぜんぜん違うし、長編のディープな悲劇というほどの小説ではない。

No.355 6点 眠りと死は兄弟- ピーター・ディキンスン 2018/06/17 10:23
ディキンスンの4作目だが、3作目の「封印の島」はポケミスでは出なかったので、ちょっと飛ばしている。またあとで「封印の島」は読むことにしようと思うのだが、ピプルは本作では警察をクビになっている。「封印の島」の事件でクビの経緯が分かるようなので、それはおもしろそうではあるな。
で本作、タイトルがいい。キャプシニー(眠り病)という奇病の子供たちを収容する施設をピプルは偶然訪れる。キャプシニーはダウン症をモデルにした遺伝子の病気のようで、知恵遅れと動作の緩慢、低体温、傾眠を特徴とする症状があり、ほっておけば眠りのうちに死に至る。しかし、ピプルはこの子どもたちがテレパシーの能力をもつことに気づき、子どもたちが示すおびえが、この施設の管理者であるジョーンズ夫人の身の危険を示しているように感じた...テレパシー実験のためにピプルはこの施設に雇われることになった。
と実際に事件が起きるのは残り1/5ほどになってからで、ディキンスンの独特の文章による、不思議世界の描写が続く。ミステリ的興味だけで読んだらちょっと辛いだろうな。「ガラス箱の蟻」や「英雄の誇り」は本作ほどには難解ではなかったが、本作だとピプル視点での内的な独白の中で、デテールがさまざまに解釈されて万華鏡のように「絵面が切り替わる」さまを楽しむことが必要だ。ピプルが得た情報が、ピプルの推理の中で、さまざまに組み合わさって思いもかけない解釈を引き出して、絵面を切り替えていくのだから、これはこれで「ミステリ」だと読むこともできるけども、ピプルの主観と、凝ったデテールの間で、何が現実で何が解釈なのかが結構曖昧になって、なかなか読むのがシンドイ作品ではある。
前衛小説風の作品であるが、ミステリって言えばミステリに違いない。雰囲気は素晴らしい部類だと言えるし、クリスティの晩年の「親指のうずき」とか「象は忘れない」みたいな「何が問題なのか」を探すミステリの到達点みたいなもの、として捉えるのがいいのではなかろうか。事件がなかなか起きないのって、イギリス教養派パズラーの定番かもしれないよ。

No.354 10点 一九八四年- ジョージ・オーウェル 2018/06/13 10:01
「ティンカー、テイラー...」「ヒューマン・ファクター」と本作を比較して読む企画の締めはディストピアSFの名作「一九八四年」である。うん、評者の狙いは本作をSFというよりもスパイ小説として読むことである。
本作の主人公ウィンストン・スミスはイングソックの下級党員として、イデオロギーに従う義務を持っている。だから「職業スパイに近い存在」と見ることができるわけだが、ウィンストンは自らの「記憶」に忠実であろうとして、イングソックのイデオロギーを裏切り、同様な反抗者であるジュリアを見出して愛を交わし、イングソックに抵抗する地下組織と連絡を取ろうとする...ウィンストンは「二重スパイ」であり、これスパイ小説以外の何ものでもないと評者は思う。違うかい?
もちろん本作を全体主義批判として読むのが正当な読み方なんだろうけども、今回は「二重スパイは何を愛し、何を裏切るか?」ということに絞って見ていこうと思う。そういう意味では本作は「ヒューマン・ファクター」と非常に近い位置にある小説である。イングソックが抑圧するのはまさに「プライヴェート」である。「ヒューマン・ファクター」で主人公の「プライヴェート」が丁寧に描かれるのと照応して、本作では主人公ウィンストンのプライヴェートはすでに「奪われたもの」であって、それは「記憶」の中にしかないし、イングソックに隠れてジュリアと交わす愛によってそれを取り戻そうとする時間なのである。
本作が残酷なのは、その「記憶」すらも「過去は改変可能である」というイングソックの原則に従って、ウィンストン本人によって汚され否認されることだ。「記憶」の中に後退するすることさえ、国家は許しはしないのだ...最後にウィンストンとジュリアが再会するするアンチ・クライマックスが、無残極まりない。二重スパイは無限の裏切りを強制されて、矛盾撞着する非自我をかろうじて生き延びる。愛を後悔することさえも、もはや許されない。これを「ヒューマン・ファクター」の甘さを否定して、無残な荒廃として描いたスパイの内面のドキュメントと、評者は呼びたいな。1948年に書かれた本作が、究極のスパイ小説をすでに達成していたと思うのだ。愛の対象の一冊なので10点。

もちろん、このディストピアを未到来の悪夢だと思えばSFとして読むのも結構だし、このトバ口に立っていると見れば警世の書として読むのも結構。この悪夢を今と捉えて「自分がどう抵抗するか」を考えればスパイ小説になる...と切り口によって読みが変わる間口の広い空前の傑作である。次の一節は、あれ、今の国会の状況を正確に論評していない?

過去とは党が自由自在に造り上げられるものだということになる

No.353 9点 ヒューマン・ファクター- グレアム・グリーン 2018/06/13 09:24
「ティンカー、テイラー...」と本作と「1984年」を比較する企画第二弾である。二重スパイは何を裏切るのか?
リアル・スパイは、そこが母国であったとしても自身を異邦人として見つづける義務がある。では、スパイは妻を愛することができるのか? では、子供を愛することができるのか?というのが、本作の最大のテーマとなる。

(かなりバレてますが、本作みたいなのはバレずにイイ箇所を紹介するのが難しいんでねえ)

本作の主人公カースルは、MI6の東・南アフリカ担当である。ベテランではあるが、今は暗号連絡の取りまとめの内勤職員である。機密を扱うから「諜報員」としての機密保護の対象にはなるが、実態は下級のホワイトカラー職員、といった仕事である。
しかしカースルには南アフリカ勤務の際に、配下のスパイとして採用した黒人女性サラと結ばれた経緯がある。外交官特権のあるカースルは無事脱出できたが、サラの脱出にはある人物の手を借りていた。
カースルの職場でアフリカ関連の情報が、ソ連に漏れている、という疑惑が持たれた。調査に入った監察官たちはカースルの同僚で素行の悪いデイヴィスを疑う...そのデイヴィスは急死する。この頃、カースルの旧任地であった南アフリカから秘密警察代表者が訪英し、MI6とCIAと共同戦線を張る協議を行うことになった。その秘密警察幹部はカースルの旧敵であった。表面上はビジネスライクに対応するが、カースルの気持ちは収まらない。
疑われたデイヴィスをほぼ人体実験するかのように、毒をもられたのである。実は二重スパイはカースルであり、サラの脱出に手を借りたコミュニストグループの恩義のために、二重スパイをしていたのだ。アパルトヘイトを主導する秘密警察幹部の油断に乗じて得た情報を、最後の手土産としてソ連に流そうと決心した。カースルは妻に告白し、必ずソ連に迎えることを約束して、自らは亡命へと旅立った...
本作は「ティンカー、テイラー...」以上に、地味に心理と生活のデテールを追った小説である。カースルはイギリス人だが、妻は黒人で、その子サムは妻の連れ子の純粋な黒人だが、二人をカースルは本当に愛している。カースルにとっての国家とは、

あたしたちにはあたしたちの国があるわ。あなたとわたしとサムの国が。あなたはこれまで一度だって、あたしたちの国を裏切ったことがないのよ

と、国家と個人の情愛の対立として描くのである。白人のカースル、黒人のサラ、血のつながらない子供のサム、と心情的だけで結ばれた国家の外側の「絆」によって、国家から逃れる姿がこの作品の肖像である。本作のエピグラムとして

絆を求めるものは敗れる。それは転落の病菌に蝕まれた証。

とコンラッドの言を引いているが、絆だけを掲げるドン・キホーテとしての姿が哀切である。カースルはイギリスを裏切ったというよりも、国家の外部にある「絆の国」への亡命者なのである。アンブラーにせよグリーンにせよ、この世代は「スパイを国家を疑うための媒介」として捉える視野がしっかりとあった。ここがル・カレ以降の「官僚スパイ小説」と決裂するあたりだと評者は思うのだ。ここらにロマンを感じちゃう評者は甘いかもしれないなあ。けどこの家族の姿に感動するのを否定出来ないよ。

No.352 7点 ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ- ジョン・ル・カレ 2018/06/13 08:34
ル・カレは今年のテーマのひとつなんだが、ちょっと思いついた企画で本作と「ヒューマン・ファクター」と「1984年」を連続して読んで比較しようと思う。「二重スパイは何を裏切るか?」というのがテーマだね。
ル・カレって評者はある意味「厄介な巨匠」だと思うんだ。影響力と重厚さでリアル・スパイ小説のカテゴリーキラーな作家なのだが、改めて読むと小説としてはアンブラーみたいなアイロニカルな「うまさ」はないし、文芸か、というとグリーンほど突っ込めていなくて、イイ部分は結構ベタなエンタメの部分だったりもする。しかしル・カレ特有の「くどい」描写が、「日常のあらゆるデテールを、敵・味方のシグナルとして解釈せざるをえない職業スパイの不安な心理」を如実に示す必然性があって、「読みづらさに意味がある」小説だったりするわけだ。
でもちろん「ル・カレといえば」なテーマとしての「公務員スパイの硬直的な官僚性批判」というオリジナルなネタがあって、実はこれが「スパイも俺も同じじゃないか」とサラリーマン層にウケる要素でもあったわけだ...で本作に限っていえば「スパイとしての挫折」と「負け組のリベンジ」という「エンタメとして狙ったね」という感じのストーリーラインが売りになる。

だから、おれはそうしているんだ、命令に従って、忘れているんだ!

と負け組スパイはスマイリーの再調査で悲鳴を上げる。官僚組織の頽廃と硬直性を印象的に示すとともに、キャリアの上での「挫折」に共感する、という大きな見せ場である。
また本作は、スマイリー三部作の「敵手」としてのカーラの造形が、いい。スマイリーが回想の中で、一度だけ対面したカーラの独特の平静さが、尋問する/されるの力学を逆転してスマイリー自身を追い詰めるのが、極めて印象的。三部作としてのキモはこの部分だろう。
本作の「もぐら」はもちろんキム・フィルビーをモデルにしている。隠された同性愛や30年代のイギリスのインテリの間でのソ連への共感といった要素はもちろんフィルビーのものを転用しているわけなのだが...これが正体が露見したあとではどうも取ってつけたようだ。またスマイリー自身の愛情をネタにした部分も、単なる偽装であって、意外なくらいに深みに欠けている。同性愛と左翼シンパシーの問題は、フィルビーから見て20歳も年下のル・カレでは、手に余ったような雰囲気もある。国家を前提としたモラリスティックな批判しか、ル・カレはできないようだ。ここらを突っ込めるのは、グレアム・グリーンの「ヒューマン・ファクター」を措いてない。

余談:フィルビーと同性愛の話は、海野弘の「ホモセクシャルの世界史」が詳しい。やはり「世代」をキーワードにして戦間期を青春とした「太陽の子たち」と呼んでいる。

No.351 8点 黒の碑- ロバート・E・ハワード 2018/06/07 23:58
蛮人コナン(映画で言えば「コナン・ザ・グレート」)の生みの親であるハワードは、同じ「ウィアード・テイルズ」の執筆者であるH・P・ラヴクラフトとの交流の中で、クトゥルフ神話にも手を染めていた。この短編集はハワードによるホラーを10作と詩を3作収録したものである。
とはいえ、ハワードはラヴクラフトとの交流を待つまでもなく、ウィアード・テイルズの看板作家の一人であり、独自の個性と題材を備えていた。なので、この短編集でも、3つの引力圏の中で作品が構築されているような印象だ。
1. ラヴクラフトが示唆したクトゥルフ神話。「黒い碑」「屋上の怪物」「われ埋葬にあたわず」
2. ハワード固有の肉体派古代ロマンの要素。「妖蛆の谷」「闇の種族」「大地の妖蛆」
3. 西部の口碑の形をとるウェスタン小説の怪談。「獣の影」「老ガーフィールドの心臓」「鳩は地獄から来る」
それに上記三要素が全部入った感じの「アッシュールバニパル王の火の石」、という構成である。一番ベタな要素の多いクトゥルフ神話作品でも、古典的といっていいくらいに格調の高い出来である。「ネクロノミコン」に次ぐ魔導書としての格式を誇る「無名祭祀書」を導入した「黒の碑」なんて、ラヴクラフトらしい間接話法というか、それと直接叙述せずに「じらす」語り口が堂に入っている。ラヴクラフトのものより評者は好きなくらいだ。
でしかも、ハワード固有の、蛮人コナンに通じる怪奇古代ロマン世界にクトゥルフ的要素を導入した3作品なぞ、本当にハワードならではのアクションロマンになっていて、古代世界に対するハワードの憧れを、クトゥルフを触媒として結晶化させたような感がある。「闇の種族」で主人公の名に「コナン」が出てくるのが、実は初出だそうだ。「闇の種族」では後のキンメリアのコナンとは設定がずいぶんと違うのがご愛嬌。
ハワードはウェスタン小説でも人気者だったようだが、「鳩は地獄から来る」は伝統的なウェスタン小説風の(舞台は南部だがアメリカ的な、という意味で)怪談である。ラストが少しひねってあるが、こういうのも、うまい。
で、舞台をアフガニスタンの砂漠に求めて、アクションあり、邪教の神殿あり、揺らめく炎のような魔性の宝石あり、な「アッシュールバニパル王の火の石」は3要素をすべてを総合したような出来である...この作品のドライさ良さも捨てがたい。
一応ジャンルはホラーにはしたけども、男性的な冒険小説としても強い魅力がある。評者は蛮人コナンのシリーズも大好きだけど、本サイトではちょっと違うか、という気もして扱わないが、ハワードというとよりミステリ色の強い怪奇スリラーの「スカル・フェイス」もある。「スカル・フェイス」のB級ノリも結構楽しいので、そのうち紹介しよう。

No.350 10点 白蟻- 小栗虫太郎 2018/06/05 22:11
虫太郎ルネサンスというと、60年代末に桃源社の刊本が担ったのだけど、評者だと馴染みのあるのは70年代の現代教養文庫の5巻の傑作選だった。この傑作選、松山俊太郎による校訂が徹底していて、それまでの連載の初出、刊行書を照合して、「一番いいテキスト」を作り上げようとする気合の入ったシリーズ(「カペルロ・ビアンカ」→「ビアンカ・カペルロ」は結構批判されたなぁ)だった。研究の部類になるようなものや、周囲の人たちの思い出話などのオマケも豊富で、お買い得なテキストである。
この傑作選での「完全犯罪」「白蟻」の収録が「白蟻」である。その他に戦時下に発表されたスパイ小説「海峡天地会」を収録し、日影丈吉と横溝正史による思い出話と、長田順行による研究「小栗虫太郎と暗号」が付録になっている。「海峡天地会」はともかく、「完全犯罪」も「白蟻」も結構アンソロによく収録される作品ではあったからレアではないが、「黒死館」に次ぐ重要作に違いない。
「完全犯罪」の探偵役は苗族共産軍の指導者で、ゲー・ペー・ウーからコミンテルンに転出したバリバリのコミュニスト、ザロフ。スターリニストな矢吹駆である。評者本当にザロフ主人公で虫太郎パスティーシュを書きたいくらいにお気に入りキャラだが、こんな探偵他にいるわけない。虫太郎でも一般的な本格ミステリに一番近いくらいの作品で、そう読みづらいわけではないのだが、本作の背後にあの悲痛なマーラーの「子供の死の歌」が流れ続けているかの印象を受けるのが

一面観賞的に見ても、充分芸術としての最高の殺人と云えるでしょう

と自負するのが当然なくらいに「美としての殺人」を極めているように思う。本当に、本作を読むなら「子供の死の歌」を聞かないなんて、絶対にありえないくらいに、作品世界と悲痛な曲の情念がマッチしすぎている。「亡き子をしのぶ歌」の訳が多いが「子供の死の歌」が原題直訳である。「最後の作品」って作中で言ってるけど、これは嘘だ。マーラーが詩を気に入って作曲中に結婚したのだが、できた子供を喪って妻に「縁起でもない曲を書くからだ」と泣かれたという有名なエピソードがある。女声の歌唱の方がずっと泣けると評者は思う。そう、虫太郎って本当に情念の作家だからね。

「白蟻」は虫太郎が狙って書いた「変格探偵小説」。一部で「電波嫁」と言われているらしい(苦笑)。舞台となる上州の某地(騎西一族の流刑地)の、奇怪な植物が繁茂するさまを冒頭から文庫5ページに亙って延々描写し続けるのは、この土地自体が後の「魔境」と同様の、ありえない場所だからだ。この魔境の閉じ込められた若妻の、奔放で血にまみれた妄想の世界が繰り広げられる。
淫祠邪教と罵られる馬霊教の教主、騎西一族は追放されて、上州の故地に流刑の地を求めた。当主たるべき十四郎は落盤事故以来奇怪な変貌をとげ、妻の滝人は別人による入れ替わりを憶測する。滝人は無残な奇形児稚市を産み、先天的な癩によるものと忌まれるのだが、滝人はそれを自身の想念によるものと断定する。滝人は落盤の中に消えた夫を取り返すべく、その面影を義理の妹の時江に求め、時江に「鉄漿(お歯黒)」を強制する...この面影のために、滝人は変貌した夫を殺害しようと、稚市を使った奇怪な犯行を計画する。
と、本当に筋を纏めてもワケわからないと思うが、究極に妖美を極めた妄念の世界である。グロテスクの面で国枝史郎の「神州纐纈城」に唯一比肩できる、戦前に漆黒の華を咲かせた暗黒文学の一つだ。こればっかりは、虫太郎でも一番の晦渋な文章を読んでその毒に中らないと、わからないだろうな。
「海峡天地会」は戦中の作品で、文章は前2作とは違い平明。漢民族の秘密結社天地会の指導者張崙が、日本軍にやすやすと捉えられた。張は黙秘するが、別人という疑惑が起こる。果たして?という話である。まあこれは戦時中の虫太郎の苦闘が、戦後の改稿と比較して浮かび上がる松山俊太郎の校訂に面白さがある。

No.349 6点 娼婦の時- ジョルジュ・シムノン 2018/06/05 08:24
シムノンの中でも「ベルの死」とか「ぺぺ・ドンジュの真相」に近いタイプの小説だと思う。主人公は車の故障で立ち寄った村の食堂で、パリでの殺人を告白して憲兵隊に逮捕された。パリに護送されて判事や精神鑑定担当の教授と自身の事件を検討する...というきわめてシンプルな話である。
このプロセスがかなりリアルである。人間、自分の行為を説明するのに、理由をいろいろ考えれば考えるほど、その理由が曖昧になってきて「なんでこんな事考えたんだろう??自分でも自分がよくわからないや」となることもよくあると感じる。特にコレは犯罪の捜査であり、その中には「当局がどういう犯罪であるかを理解し、言葉で規定する」必要があるわけである。罪を犯した本人の自意識から組み立てられる自己規定と、捜査の過程で出会う警官・予審判事・弁護士・精神科医との間での「自意識を賭けた攻防」がなされる..この小説の内容はこの「攻防」である。
なので、本作は「異邦人」のバリエーションみたいなものである。自意識をめぐる話なので、ハードボイルド的な即物性はなくて、伝統的で自己分析的な心理小説ではあるが、社会化された自己と、言語から逃れる自我とのドラマを、凝縮して提示することになる。

このままではバカ者か極悪人で終わってしまう。

この結論が示すのは、本作がまさに自意識の小説であるということだ。本作も「熱海殺人事件」ということに、なる。

No.348 6点 天国か地獄か- ジョイス・ポーター 2018/06/03 09:56
スパイ小説のパロディみたいな艶笑喜劇である。「なまけスパイ」だけあって、ヤル気ゼロなのが、何かいい。男の娘になってビアンのキャットファイトにおろおろしたりするんだよ。
旧ソビエトで、「さまざまなお宗旨が雑居する秘密を抱えた集団農場」という舞台設定など、ドストエフスキー風の重喜劇なイロがついている。「イギリスの種馬」がスコプツィ教徒に去勢を誘われるとか、さすがドーヴァー警部の作家だけあるなぁ。それでもほぼ軍事的な作戦行動まであって、ハードな部分はハード。その上「女性の性欲」をあっけらかんと肯定してそれを軸に話が回っていくあたり、1969年の小説とはちょっと思えないくらいに過激である。
ある意味さすが、と思わせるが、話はわりととっちらかっている。振り回されるエディくんも気の毒に。

でスパイ小説な「裏切られた夜」と比較して...だけど、まあ明白あっちはドーヴァーさんの手ではないが、執筆が娘、というのは否定できない。「天国か地獄か」も当然「女性視点」は強く出ている。まあこっちは「男性に対する(王子様な)幻想」みたいなものが皆無というのが、特色なんだけどね。どうだろうか...

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